回復した日々に
2011年 09月 13日
リュープリンが始まって、
ホットフラッシュが復活した。
少しうごくと汗だくである。
このところ、治療が少し落ち着いてきたこともあって
ブログを書く機会が減ってしまった。
その理由は、日々の生活がだんだん活発になってきたことが一番大きい。
その一方で、自分の心の中に、漠然とある思いのようなものがあったのだけれど
どのように書けばいいのかよくわからず、
ついためらってしまうようになった。
今までは、なんでもほぼ殴り書きに近い状態であったのに、
今回はほんとうに漠然とした思いだったため、
目先の楽しいことに集中してあまり思い悩まずにいたようだ。
私は乳がんの初期治療の中では割と長期に渡る治療を受けてきた。
結果は、有難いことに本当に良いもので、まだ治療は続いているけれど
日常生活に不自由はないし、胸の変形もなく、着るものも支障がない。
治療の間に、見送った病友は割といた。
ほぼ同じ時期に、似たような治療を受けてきた何人かは、もうこの世界にはいない。
だから私は、今自分がここにいることを、とても貴重なことだと思っている。
それでも、ふとした時に思うのである。
やっぱり、治療生活では自尊心みたいなものが犠牲になったなあと。
自分の命があることを大切に思っている、と書いたことと矛盾しているかもしれないけれど
病院で患者として過ごす中で、私は傷ついてきたなあと思う。
きっとうまく整理して書けないだろうけれど、今日はとにかくここに書いてみようと思う。
たとえばそっけなく扱われること、
ドクターやナースは、仕事上どうしても感情を抑え気味の対応になるから。
もちろん全員がそうではないけれども。
なんだか自分が悪いことをしているような、無愛想な対応などを受けたりしたこともあったし
そうすると、自分で好んでがんになったわけではないのにどうして、と傷ついた。
単に私の人生経験が足りないだけなのかもしれないけれど。
仲の良い友人、人間関係もそこそこよい職場で過ごして来て、
皆で雰囲気よく何かに取り組んで行くことを決まり事のように思って来た。
丁寧なサービスを受けると心があたたかくなるから、
小さくても、心のこもったサービスをしてくれる店や店員さんを探すのが好きだった。
そういう人たちと、慣れ合いではない、心地の良いコミュニケーションを取ることを大切に思ってきたから
病院内のそっけなさは、心の弱っていた私にはきつかったようだ。
それから、患者さん同士のちょっとしたこと。
やはり、患者会も症状が似ている人同志で仲良くなることが多かったりする。
場所によっては、症状が進んでいると、遠ざけられてしまうことがあったりした。
みな、怖いのかもしれないし、それは仕方がないのかもしれないけど
そういうことも、傷ついた。
もちろんそういう場所だけではなく、いろんなことを相談しあえる仲間もたくさんできたけれど。
以前の職場関係者とはあまり連絡を取っていないことは前にも書いた。
病名を言いたくない、かわいそうと思われたくない、死を連想されたくない、と思ったから
新しい場所でアルバイトを始めた。
でもそこでも「なぜ?」と聞かれれば、適当なことを言ってのらくらとかわしてきた。
かわしてきたけれど、ストレスがたまる。
病気をして、私はきつい治療を受けてきたんです。
やっと回復してきたけどアルバイトで短時間働くのがやっとなんですよ。
そんなこと言えば、噂になるし、今後の仕事に偏見も生まれるだろうから、黙っている。
本当のことを言っていないことへの罪悪感だって、普段は感じないように図太くいるつもりだけど
ゼロではないのだ。
病気以前の、自分の積み上げてきた実績に直接つながる仕事をなぜしないのか、
とアルバイト先の人もいぶかしんでいるけれど、そういうのを気付かぬふりをすることも、小さな痛みを感じる。
結局、集約されるのは、病気のことを受け入れてはいるけれど
社会生活を送ろうと思えば、病気のことを隠さざるを得ない状況があるし
隠していると、キャリアダウンして、一体何やってるの?という周囲の目にすごく影響されてしまう。
はじめの方で書いた自尊心が傷つく、とは少し離れてしまったかもしれないけれど
自分で自分の価値をなかなか認めにくい状況になっているのは確かなのだ。
変な話、経歴コンプレックスがある(と噂に聞く)社員さんのアシストにつくと
露骨に意地悪をされることもある。
今まで私がいた環境では、考えられないような幼稚な仕打ちである。
そういう時はとても傷つく。
もちろん、私もそこそこいい年、そんなことをいちいち構っていたら進まないので
淡々と仕事をし、周りの同じような目に合っている同僚や心配してくれる先輩には正直に話してしまう。
それで仕事はまわっている。
でも本当は傷ついて、怒りさえ感じてしまう。
相手に対してもそうだけど、そういう立場で自分が働いているということを、悔しく思ってしまう自分がいる。
病気になって、その間に色々考えて、変えて、
告知からおよそ3年たった今、
以前より楽しんで生活ができている。
だけれども、闘病の間のショックや心の痛み、自尊心がぎゅっと小さくなってしまったことは
まだ残っているとはっきりわかる。
考えすぎかもしれない。自意識過剰だと笑われるかもしれない。
病気であってもなくても、人生はいいことばかりではないのだから。
でも、今はまだ、心の中に、傷が残っている。
傷は外から癒えていくというのは、本当なのかもしれない。
ホットフラッシュが復活した。
少しうごくと汗だくである。
このところ、治療が少し落ち着いてきたこともあって
ブログを書く機会が減ってしまった。
その理由は、日々の生活がだんだん活発になってきたことが一番大きい。
その一方で、自分の心の中に、漠然とある思いのようなものがあったのだけれど
どのように書けばいいのかよくわからず、
ついためらってしまうようになった。
今までは、なんでもほぼ殴り書きに近い状態であったのに、
今回はほんとうに漠然とした思いだったため、
目先の楽しいことに集中してあまり思い悩まずにいたようだ。
私は乳がんの初期治療の中では割と長期に渡る治療を受けてきた。
結果は、有難いことに本当に良いもので、まだ治療は続いているけれど
日常生活に不自由はないし、胸の変形もなく、着るものも支障がない。
治療の間に、見送った病友は割といた。
ほぼ同じ時期に、似たような治療を受けてきた何人かは、もうこの世界にはいない。
だから私は、今自分がここにいることを、とても貴重なことだと思っている。
それでも、ふとした時に思うのである。
やっぱり、治療生活では自尊心みたいなものが犠牲になったなあと。
自分の命があることを大切に思っている、と書いたことと矛盾しているかもしれないけれど
病院で患者として過ごす中で、私は傷ついてきたなあと思う。
きっとうまく整理して書けないだろうけれど、今日はとにかくここに書いてみようと思う。
たとえばそっけなく扱われること、
ドクターやナースは、仕事上どうしても感情を抑え気味の対応になるから。
もちろん全員がそうではないけれども。
なんだか自分が悪いことをしているような、無愛想な対応などを受けたりしたこともあったし
そうすると、自分で好んでがんになったわけではないのにどうして、と傷ついた。
単に私の人生経験が足りないだけなのかもしれないけれど。
仲の良い友人、人間関係もそこそこよい職場で過ごして来て、
皆で雰囲気よく何かに取り組んで行くことを決まり事のように思って来た。
丁寧なサービスを受けると心があたたかくなるから、
小さくても、心のこもったサービスをしてくれる店や店員さんを探すのが好きだった。
そういう人たちと、慣れ合いではない、心地の良いコミュニケーションを取ることを大切に思ってきたから
病院内のそっけなさは、心の弱っていた私にはきつかったようだ。
それから、患者さん同士のちょっとしたこと。
やはり、患者会も症状が似ている人同志で仲良くなることが多かったりする。
場所によっては、症状が進んでいると、遠ざけられてしまうことがあったりした。
みな、怖いのかもしれないし、それは仕方がないのかもしれないけど
そういうことも、傷ついた。
もちろんそういう場所だけではなく、いろんなことを相談しあえる仲間もたくさんできたけれど。
以前の職場関係者とはあまり連絡を取っていないことは前にも書いた。
病名を言いたくない、かわいそうと思われたくない、死を連想されたくない、と思ったから
新しい場所でアルバイトを始めた。
でもそこでも「なぜ?」と聞かれれば、適当なことを言ってのらくらとかわしてきた。
かわしてきたけれど、ストレスがたまる。
病気をして、私はきつい治療を受けてきたんです。
やっと回復してきたけどアルバイトで短時間働くのがやっとなんですよ。
そんなこと言えば、噂になるし、今後の仕事に偏見も生まれるだろうから、黙っている。
本当のことを言っていないことへの罪悪感だって、普段は感じないように図太くいるつもりだけど
ゼロではないのだ。
病気以前の、自分の積み上げてきた実績に直接つながる仕事をなぜしないのか、
とアルバイト先の人もいぶかしんでいるけれど、そういうのを気付かぬふりをすることも、小さな痛みを感じる。
結局、集約されるのは、病気のことを受け入れてはいるけれど
社会生活を送ろうと思えば、病気のことを隠さざるを得ない状況があるし
隠していると、キャリアダウンして、一体何やってるの?という周囲の目にすごく影響されてしまう。
はじめの方で書いた自尊心が傷つく、とは少し離れてしまったかもしれないけれど
自分で自分の価値をなかなか認めにくい状況になっているのは確かなのだ。
変な話、経歴コンプレックスがある(と噂に聞く)社員さんのアシストにつくと
露骨に意地悪をされることもある。
今まで私がいた環境では、考えられないような幼稚な仕打ちである。
そういう時はとても傷つく。
もちろん、私もそこそこいい年、そんなことをいちいち構っていたら進まないので
淡々と仕事をし、周りの同じような目に合っている同僚や心配してくれる先輩には正直に話してしまう。
それで仕事はまわっている。
でも本当は傷ついて、怒りさえ感じてしまう。
相手に対してもそうだけど、そういう立場で自分が働いているということを、悔しく思ってしまう自分がいる。
病気になって、その間に色々考えて、変えて、
告知からおよそ3年たった今、
以前より楽しんで生活ができている。
だけれども、闘病の間のショックや心の痛み、自尊心がぎゅっと小さくなってしまったことは
まだ残っているとはっきりわかる。
考えすぎかもしれない。自意識過剰だと笑われるかもしれない。
病気であってもなくても、人生はいいことばかりではないのだから。
でも、今はまだ、心の中に、傷が残っている。
傷は外から癒えていくというのは、本当なのかもしれない。
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by reeelax
| 2011-09-13 12:51
| 日々のこと