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回復した日々に

リュープリンが始まって、
ホットフラッシュが復活した。
少しうごくと汗だくである。


このところ、治療が少し落ち着いてきたこともあって
ブログを書く機会が減ってしまった。

その理由は、日々の生活がだんだん活発になってきたことが一番大きい。

その一方で、自分の心の中に、漠然とある思いのようなものがあったのだけれど
どのように書けばいいのかよくわからず、
ついためらってしまうようになった。
今までは、なんでもほぼ殴り書きに近い状態であったのに、
今回はほんとうに漠然とした思いだったため、
目先の楽しいことに集中してあまり思い悩まずにいたようだ。

私は乳がんの初期治療の中では割と長期に渡る治療を受けてきた。
結果は、有難いことに本当に良いもので、まだ治療は続いているけれど
日常生活に不自由はないし、胸の変形もなく、着るものも支障がない。
治療の間に、見送った病友は割といた。
ほぼ同じ時期に、似たような治療を受けてきた何人かは、もうこの世界にはいない。
だから私は、今自分がここにいることを、とても貴重なことだと思っている。

それでも、ふとした時に思うのである。
やっぱり、治療生活では自尊心みたいなものが犠牲になったなあと。
自分の命があることを大切に思っている、と書いたことと矛盾しているかもしれないけれど
病院で患者として過ごす中で、私は傷ついてきたなあと思う。
きっとうまく整理して書けないだろうけれど、今日はとにかくここに書いてみようと思う。

たとえばそっけなく扱われること、
ドクターやナースは、仕事上どうしても感情を抑え気味の対応になるから。
もちろん全員がそうではないけれども。
なんだか自分が悪いことをしているような、無愛想な対応などを受けたりしたこともあったし
そうすると、自分で好んでがんになったわけではないのにどうして、と傷ついた。

単に私の人生経験が足りないだけなのかもしれないけれど。
仲の良い友人、人間関係もそこそこよい職場で過ごして来て、
皆で雰囲気よく何かに取り組んで行くことを決まり事のように思って来た。
丁寧なサービスを受けると心があたたかくなるから、
小さくても、心のこもったサービスをしてくれる店や店員さんを探すのが好きだった。
そういう人たちと、慣れ合いではない、心地の良いコミュニケーションを取ることを大切に思ってきたから
病院内のそっけなさは、心の弱っていた私にはきつかったようだ。

それから、患者さん同士のちょっとしたこと。
やはり、患者会も症状が似ている人同志で仲良くなることが多かったりする。
場所によっては、症状が進んでいると、遠ざけられてしまうことがあったりした。
みな、怖いのかもしれないし、それは仕方がないのかもしれないけど
そういうことも、傷ついた。
もちろんそういう場所だけではなく、いろんなことを相談しあえる仲間もたくさんできたけれど。

以前の職場関係者とはあまり連絡を取っていないことは前にも書いた。
病名を言いたくない、かわいそうと思われたくない、死を連想されたくない、と思ったから
新しい場所でアルバイトを始めた。
でもそこでも「なぜ?」と聞かれれば、適当なことを言ってのらくらとかわしてきた。
かわしてきたけれど、ストレスがたまる。
病気をして、私はきつい治療を受けてきたんです。
やっと回復してきたけどアルバイトで短時間働くのがやっとなんですよ。
そんなこと言えば、噂になるし、今後の仕事に偏見も生まれるだろうから、黙っている。
本当のことを言っていないことへの罪悪感だって、普段は感じないように図太くいるつもりだけど
ゼロではないのだ。
病気以前の、自分の積み上げてきた実績に直接つながる仕事をなぜしないのか、
とアルバイト先の人もいぶかしんでいるけれど、そういうのを気付かぬふりをすることも、小さな痛みを感じる。

結局、集約されるのは、病気のことを受け入れてはいるけれど
社会生活を送ろうと思えば、病気のことを隠さざるを得ない状況があるし
隠していると、キャリアダウンして、一体何やってるの?という周囲の目にすごく影響されてしまう。

はじめの方で書いた自尊心が傷つく、とは少し離れてしまったかもしれないけれど
自分で自分の価値をなかなか認めにくい状況になっているのは確かなのだ。

変な話、経歴コンプレックスがある(と噂に聞く)社員さんのアシストにつくと
露骨に意地悪をされることもある。
今まで私がいた環境では、考えられないような幼稚な仕打ちである。
そういう時はとても傷つく。
もちろん、私もそこそこいい年、そんなことをいちいち構っていたら進まないので
淡々と仕事をし、周りの同じような目に合っている同僚や心配してくれる先輩には正直に話してしまう。
それで仕事はまわっている。
でも本当は傷ついて、怒りさえ感じてしまう。
相手に対してもそうだけど、そういう立場で自分が働いているということを、悔しく思ってしまう自分がいる。

病気になって、その間に色々考えて、変えて、
告知からおよそ3年たった今、
以前より楽しんで生活ができている。

だけれども、闘病の間のショックや心の痛み、自尊心がぎゅっと小さくなってしまったことは
まだ残っているとはっきりわかる。

考えすぎかもしれない。自意識過剰だと笑われるかもしれない。
病気であってもなくても、人生はいいことばかりではないのだから。
でも、今はまだ、心の中に、傷が残っている。
傷は外から癒えていくというのは、本当なのかもしれない。
# by reeelax | 2011-09-13 12:51 | 日々のこと

リュープリン開始

血液検査の結果、女性ホルモンの分泌が、閉経前の状態にまで上がっていることがわかった。

ということで、リュープリンの注射を開始することになった。
検査結果が出てすぐ、私は夏休みで旅行に出かけることになっていたので
旅行から帰ってから注射を受けることを許可してもらった。

3年前、抗がん剤を初めて投与するときと似ていた。
あの時は、もう旅行も最後かもしれないと思って、一番お気に入りの場所に行って来たのだった。
今回は、偶然だけれど二番目に好きな場所への旅行だった。
副作用など不安を感じたくなかったので、戻ってからという選択をした。

リュープリンは3か月に1回を2年間の予定。

最近、すっかり病気に関する勉強をさぼっているのであわてて検索。
http://www.gsic.jp/medicine/mc_01/leuplin/

脳下垂体に影響する薬。。。というので漠然とした、不安感があった。
それでも、治療は受けることに決めているから大したことはない。

結局、注射は20秒ほどで終わり、劇的な副作用もなく安心した。
注射後3日間くらいは注射されたおなかの皮膚の回りがいたく、ほんのり赤く熱を持った。
驚いたのは、2日後くらいからホットフラッシュが復活したこと。
気持ち的なものなのか、本当に薬が効き始めたのか
なんだか懐かしいホットフラッシュに、少し安心した。



今まで、術後約2年間は抗がん剤の影響もあってか
タスオミンだけで生理が止まっていた。
リュープリンをこれからはじめることで
この先2年間、生理を止める計画。
2年というある程度まとまった期間
再発を阻止する努力を続けられる、そのカードが残っていることに感謝しよう。

私の乳がんのタイプはトリプルポジティブなので
ホルモン感受性も、HER2も陽性。
はじめてそれを認識した当時は、病気のことをあまり理解できていなかったこともあってか
なんだか周りの乳がん患者さんよりも条件が良くないのではと思って
事実ステージ3Cで発見されたということも手伝って
膝から力が抜けて行くような絶望感で一杯だった。

それでも、病気について知識を得、いろいろな病状の病友を得、
それぞれの治療や、そして気持ちを知ることになると
私のように、手を変え品を変え治療を受けられるということも
そこまで悪いことだとは思わなくなってきた。
治療を受けることには苦痛も伴うし、もちろんお金もかかる。
それでもその代償に、ある程度の安心感を得ることもできるのは事実だ。

トリプルポジティブであったことは、自分の選択ではないにしろ
この先の2年という時間にある程度の前向きな気持ちを持って進めることを
大切に思いたい。

もうすぐ、夏が終わる。
瑞々しい梨をかみしめると、甘い香りとともに果汁がのどを降りて
体中にしみて行く。
自分の口の中から伝わる、ざくざくという音、
果肉の少しざらっとした舌触り
いつもいつも、私は生きている。

ぐっとくるこの気持ちを、私は忘れてはいけない。
# by reeelax | 2011-09-06 13:38 | 術後治療

2度目の生理

主治医の診察を受け、ホルモン値をはかるために採血をした。

腫瘍マーカーも確認してくれるようだ。

結果は、よほど悪ければ病院から連絡が来るようだけれど
基本的には再度予約を取り、次回の診察で治療方針とともに聞くことになる。

それにしても、左腕のひじの内側の血管が
ほんとうに使えなくなってきたようだ。

もともと細くて、あまり表面に現れていないので
点滴の度にちょっと時間がかかったりしていたのだけれど
何度も針を刺して、固くなってしまったとかで
針が入らなかったり
入っても血が出てこなかったりで、ベテランの看護師さんでも難儀するようになってきて
結局今回も手の甲から採血した。

贅沢を言えば、本当は手の甲は避けたかった。
万が一青あざができてしまえば職場で聞かれるかもしれないから面倒だから。
それでもそこはベテラン、さくっと採血終了。
少しでも跡が残らないように、しばらく強めに抑えていた。
おかげで翌日には跡が残らず、よくよく目を凝らせば虫刺されの跡があるくらいの感じだった。

検査結果を待っている間
2度目の生理が来た。
けっこう規則的に来たので、ホルモン治療にお腹の注射追加、避けられないんだろうと思う。

それについては、もうあまり深く考えていない。

子供、いなくても別に生きて行ける。
お金の心配も減るし、放射能も心配だし、
何より強烈に生みたいなーというような気持ちがどこにもない。
治療の間、子供が産めなくなる、というカテゴライズになってしまうこと
選択肢がない、という状態には一抹のさみしさがある。

だけれど、私は今の穏やかな生活がずっと続いて行くなら
それは本当に幸せなことだと思っている。
タスオミンはあと3年ほど続けるので、お腹の注射もその間続く。
でも、以前ほど悔しさとかむなしさとかは感じない。
むしろ、安心感の方が強くなったかもしれない。

それは
抗がん剤と手術の後、がくんと落ちた体力と気力が
すこしずつすこしずつ、じりじりと盛り返してきて、
今の生活が色んな意味で小さく満ち足りているからだと思う。
たとえば点滅している信号を見て、
横断歩道を小走りに渡っている自分にはっと気が付いた時の
生きているんだ、という光のような衝動のようなものを
たくさん感じているからだと思う。

この満足感は、
治療中に自分に言い聞かせてきたような
とにかくわき目をふらず、見たいもの以外絶対に見ないというような感覚とは違って
闘病以前の生活の
いろいろなことが整理されて(あるものは強制的に、そしてあるものは意図的に)
自分的にちょうど良い状態で毎日を送れるようになったからだと思う。

もちろん今の状態は全然ゴールとかではないのだけれど、
この感じいいなあと思うことはけっこうあって

ラッシュアワーを避けられる勤務時間で残業もなく、
責任はほどほどな割に、そこそこ専門的な仕事内容で楽しく
病気以来なんだか億劫になってしまった、調整役交渉役はもうしなくてよいし
実はあこがれていた、手作りのお弁当を持っていける余裕ができた。

小さな職場で、物静かで趣味の似た同僚に恵まれ、ときどきおしゃべりしたりして
聞こえるか聞こえないかの低いボリュームで、好きなクラシックがかかっている。これは社長の趣味だ。
治療中にも、たくさん聞いたモーツァルトの曲などが流れていると
ぐっと胸があつくなったりする。

全てに対して、見栄を張ろうとか、少しでも良く見せて高みに昇らなくては
みたいな気持ちが薄くなったので
おしゃれも、身の丈にあった価格で気に入るものを見つけられるようになったし
(プレゼンや商談で信頼感を得るために相応の恰好をする、とかは必要なくなったわけなので)
仕事も、誠実にできる分をやるけれど
正社員ではないことを上手に使って、抱え込まなくなった。

そしてこの際、ということで苦手気味な知人とは連絡をあまり取らなくなったし、
会いたくない人からのアポは丁重にお断り。自分の人生だもの。
そうすると、自分が本当に行きたい予定+休みの時間が生まれて、これもいい。

治療の間に、お金を使わなくてもそこそこ楽しい日常の過ごし方が上手になったから
今があるのかもしれないけれど
心がとても穏やかなのだ。
図書館の近所の部屋を選んだことも大きくて
さらに職場が好きな街にあったこともラッキーだった。

なんだか、今のことしか考えずに、のんびり生きるようになったから
今はそれでいいやと思っている。
それがずっと続くように、治療は受け続けるつもり。
体が治療を受け入れているかぎり、治療法があるかぎり
そうしていくと思う。
私は私の命を大事に思って、幸運に感謝しながら
今日を楽しむ方向でいければなと思っている。
# by reeelax | 2011-08-02 10:49 | 治療後②アルバイト

ドクターの見解&婦人科検診

関東地方も梅雨明け。

先日の生理のことについて、ドクターに報告した。
私の体感としてはまぎれもない生理だったのだけれど
来月も続くか確認してから、この先の治療(おそらくリュープリンの注射追加)を考えましょうということだった。

加えて、採血して女性ホルモンの値を調べることと
婦人科検診の結果をあわせて
最終的な判断に至るようだ。

ということで、婦人科検診にも久しぶりに出向いた。
おそらく奨励されているのは半年ごとの受診だったはず。
だけれどもついついつい先延ばしで実は1年半振りの検診になってしまった。
理由は単純に億劫だったからだ。
1度目の検診は2010年の2月。
その時は特に問題がなかったということに甘えていたのだ。

体がん、卵巣エコー、頸がんの検査の順序で進んで行ったのだが
前回より違和感が強く、難儀した。
検査時間も、なんだか前回よりも長いと感じた。

非常に環境のととのった病院で、申し分ないのに
精神的になんだかきつかった。
病院自体が久し振りで、無防備なまま出向いてしまったからかもしれない。
普段の通院では
問診や触診がメインだった私の場合、
この婦人科検診が
いちばんダイレクトで痛みを伴うものだと思う。

こういうことはあんまり考え込まない方が良いのだろうけれど
こういう大変な検査を受けなくてはならないような
治療を受けているのだなあ、と改めて思わされた。

それでも、全部自分のためだ。
後で後悔しないために、と思う。
痛みで恐怖感があったし、涙も声も出てしまったけれど
念入りに見ていただいているのだから、それでいいと思わなくては。

今回の婦人科検診でも、とくに大きな問題はなさそうだということだった。
書面での結果は、少し待つことになる。

帰りは、少し痛むお腹を感じながら
大好きなDEAN&DELUCAでアイスティーとキッシュで軽いランチ。
自分にご褒美をするのが大分上手になってきたと思う。
平日の空いている、涼しいビル。
ゆっくり歩きながらセールを除いて、
郵便局に寄って葉書を送って
夕日とともに部屋に戻った。
# by reeelax | 2011-07-10 20:48 | 婦人科検診のこと

生理が戻った(2年半を経て)

気が付けば、最近ホットフラッシュが随分楽になった。

体温調節が上手にできずに
ホットフラッシュと、その逆の寒さがあり
上着を着たり脱いだりめまぐるしかったのだが
その頻度が大分減り、一回の程度も軽くなっている。

タスオミン(ノルバデックスのジェネリック)を飲み続けて約2年。
体が薬に適応してきたのかなと思っていた。

そうしたらとても久しぶりに生理が来た。
はじめはただの軽い不正出血かと思っていたが、6日間ほど続く生理だった。
術前化学療法の時に1,2度来て以来2年半程止まっていから
もしかしたらもう戻って来ないのではないかと思っていて
まあそれでも別にいいかと思っていたのだけれど。

ただ、ここ2週間ほど、いわゆる生理前の時のように、下腹部が張って
なんとなく痛みを感じるような感覚があって
婦人科検診の予約を取ったところだった。
それは、やっぱり生理の兆候だったのかもしれない。

もう、買うことはないのかなと漠然と思っていた生理用ナプキンを買いに行った。
以前買おいていたものは、震災の時被災地に送ってしまったのだ。
見慣れたパッケージの並びに、私が初めて見るものもある。
あまりに久しぶりだったので、棚の前でいろいろと観察してしまった。

生理が戻って来た時、覚えた感情は、嬉しさと安心だった。
病気のことを考えて不安になったのはその後だった。
結構シビアな抗がん剤の点滴を、リミットまで回数を重ねたから
もうたぶん生理は戻って来ないと思っていたのだ。
パクリタキセルの副作用のしびれがきつくなってきて
先生も「もうこの辺でストップしてもいいですが」といったけれど
どうしても12回点滴を受けたくて、そうお願いした。
あんなふうに体中影響が出ているんだったら
そりゃあ婦人科系にも影響があるでしょうよ、と体で納得していた。

だから、驚いたのだ。
足のしびれがなくなり、むくみもとれ、あまりはかないけどハイヒールもまたはけるようになった。
そんな風に、子宮や、そこに指令を出すようなホルモン系なんかも元気に復活したんだ。
病気のことを考えれば、たぶんまた止めることになるのだろうけれど、
体もほんとに頑張って、健やかになろうとしているんだ。

不安だったり、焦ったり、恨み言を言ったりしながらなんとか進んでいる自分が気付かない内に
体の内側も、すごく頑張っている。

とにかく、ドクターには相談をしなくてはいけない。

私の場合は術前化学療法からずっと生理が止まっていたので
ホルモン療法に移った時も、生理が戻ってくるまではタスオミンのみ
戻って来たらおそらく注射もということだったので。

この体と生きていく。
休める時はしっかり休んで、この体と生きていこう。
# by reeelax | 2011-06-28 11:48 | 術後治療

34歳 シングル 始まりは乳がんstageⅢC。術前化学療法・部分切除・放射線治療・術後ハーセプチンまで終了。現在ホルモン療法中。自分の心と体を大事な友人のように扱いながら治療の日々を過ごしてきました。


by reeelax