2度目の生理

主治医の診察を受け、ホルモン値をはかるために採血をした。

腫瘍マーカーも確認してくれるようだ。

結果は、よほど悪ければ病院から連絡が来るようだけれど
基本的には再度予約を取り、次回の診察で治療方針とともに聞くことになる。

それにしても、左腕のひじの内側の血管が
ほんとうに使えなくなってきたようだ。

もともと細くて、あまり表面に現れていないので
点滴の度にちょっと時間がかかったりしていたのだけれど
何度も針を刺して、固くなってしまったとかで
針が入らなかったり
入っても血が出てこなかったりで、ベテランの看護師さんでも難儀するようになってきて
結局今回も手の甲から採血した。

贅沢を言えば、本当は手の甲は避けたかった。
万が一青あざができてしまえば職場で聞かれるかもしれないから面倒だから。
それでもそこはベテラン、さくっと採血終了。
少しでも跡が残らないように、しばらく強めに抑えていた。
おかげで翌日には跡が残らず、よくよく目を凝らせば虫刺されの跡があるくらいの感じだった。

検査結果を待っている間
2度目の生理が来た。
けっこう規則的に来たので、ホルモン治療にお腹の注射追加、避けられないんだろうと思う。

それについては、もうあまり深く考えていない。

子供、いなくても別に生きて行ける。
お金の心配も減るし、放射能も心配だし、
何より強烈に生みたいなーというような気持ちがどこにもない。
治療の間、子供が産めなくなる、というカテゴライズになってしまうこと
選択肢がない、という状態には一抹のさみしさがある。

だけれど、私は今の穏やかな生活がずっと続いて行くなら
それは本当に幸せなことだと思っている。
タスオミンはあと3年ほど続けるので、お腹の注射もその間続く。
でも、以前ほど悔しさとかむなしさとかは感じない。
むしろ、安心感の方が強くなったかもしれない。

それは
抗がん剤と手術の後、がくんと落ちた体力と気力が
すこしずつすこしずつ、じりじりと盛り返してきて、
今の生活が色んな意味で小さく満ち足りているからだと思う。
たとえば点滅している信号を見て、
横断歩道を小走りに渡っている自分にはっと気が付いた時の
生きているんだ、という光のような衝動のようなものを
たくさん感じているからだと思う。

この満足感は、
治療中に自分に言い聞かせてきたような
とにかくわき目をふらず、見たいもの以外絶対に見ないというような感覚とは違って
闘病以前の生活の
いろいろなことが整理されて(あるものは強制的に、そしてあるものは意図的に)
自分的にちょうど良い状態で毎日を送れるようになったからだと思う。

もちろん今の状態は全然ゴールとかではないのだけれど、
この感じいいなあと思うことはけっこうあって

ラッシュアワーを避けられる勤務時間で残業もなく、
責任はほどほどな割に、そこそこ専門的な仕事内容で楽しく
病気以来なんだか億劫になってしまった、調整役交渉役はもうしなくてよいし
実はあこがれていた、手作りのお弁当を持っていける余裕ができた。

小さな職場で、物静かで趣味の似た同僚に恵まれ、ときどきおしゃべりしたりして
聞こえるか聞こえないかの低いボリュームで、好きなクラシックがかかっている。これは社長の趣味だ。
治療中にも、たくさん聞いたモーツァルトの曲などが流れていると
ぐっと胸があつくなったりする。

全てに対して、見栄を張ろうとか、少しでも良く見せて高みに昇らなくては
みたいな気持ちが薄くなったので
おしゃれも、身の丈にあった価格で気に入るものを見つけられるようになったし
(プレゼンや商談で信頼感を得るために相応の恰好をする、とかは必要なくなったわけなので)
仕事も、誠実にできる分をやるけれど
正社員ではないことを上手に使って、抱え込まなくなった。

そしてこの際、ということで苦手気味な知人とは連絡をあまり取らなくなったし、
会いたくない人からのアポは丁重にお断り。自分の人生だもの。
そうすると、自分が本当に行きたい予定+休みの時間が生まれて、これもいい。

治療の間に、お金を使わなくてもそこそこ楽しい日常の過ごし方が上手になったから
今があるのかもしれないけれど
心がとても穏やかなのだ。
図書館の近所の部屋を選んだことも大きくて
さらに職場が好きな街にあったこともラッキーだった。

なんだか、今のことしか考えずに、のんびり生きるようになったから
今はそれでいいやと思っている。
それがずっと続くように、治療は受け続けるつもり。
体が治療を受け入れているかぎり、治療法があるかぎり
そうしていくと思う。
私は私の命を大事に思って、幸運に感謝しながら
今日を楽しむ方向でいければなと思っている。
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# by reeelax | 2011-08-02 10:49 | 治療後②アルバイト

ドクターの見解&婦人科検診

関東地方も梅雨明け。

先日の生理のことについて、ドクターに報告した。
私の体感としてはまぎれもない生理だったのだけれど
来月も続くか確認してから、この先の治療(おそらくリュープリンの注射追加)を考えましょうということだった。

加えて、採血して女性ホルモンの値を調べることと
婦人科検診の結果をあわせて
最終的な判断に至るようだ。

ということで、婦人科検診にも久しぶりに出向いた。
おそらく奨励されているのは半年ごとの受診だったはず。
だけれどもついついつい先延ばしで実は1年半振りの検診になってしまった。
理由は単純に億劫だったからだ。
1度目の検診は2010年の2月。
その時は特に問題がなかったということに甘えていたのだ。

体がん、卵巣エコー、頸がんの検査の順序で進んで行ったのだが
前回より違和感が強く、難儀した。
検査時間も、なんだか前回よりも長いと感じた。

非常に環境のととのった病院で、申し分ないのに
精神的になんだかきつかった。
病院自体が久し振りで、無防備なまま出向いてしまったからかもしれない。
普段の通院では
問診や触診がメインだった私の場合、
この婦人科検診が
いちばんダイレクトで痛みを伴うものだと思う。

こういうことはあんまり考え込まない方が良いのだろうけれど
こういう大変な検査を受けなくてはならないような
治療を受けているのだなあ、と改めて思わされた。

それでも、全部自分のためだ。
後で後悔しないために、と思う。
痛みで恐怖感があったし、涙も声も出てしまったけれど
念入りに見ていただいているのだから、それでいいと思わなくては。

今回の婦人科検診でも、とくに大きな問題はなさそうだということだった。
書面での結果は、少し待つことになる。

帰りは、少し痛むお腹を感じながら
大好きなDEAN&DELUCAでアイスティーとキッシュで軽いランチ。
自分にご褒美をするのが大分上手になってきたと思う。
平日の空いている、涼しいビル。
ゆっくり歩きながらセールを除いて、
郵便局に寄って葉書を送って
夕日とともに部屋に戻った。
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# by reeelax | 2011-07-10 20:48 | 婦人科検診のこと

生理が戻った(2年半を経て)

気が付けば、最近ホットフラッシュが随分楽になった。

体温調節が上手にできずに
ホットフラッシュと、その逆の寒さがあり
上着を着たり脱いだりめまぐるしかったのだが
その頻度が大分減り、一回の程度も軽くなっている。

タスオミン(ノルバデックスのジェネリック)を飲み続けて約2年。
体が薬に適応してきたのかなと思っていた。

そうしたらとても久しぶりに生理が来た。
はじめはただの軽い不正出血かと思っていたが、6日間ほど続く生理だった。
術前化学療法の時に1,2度来て以来2年半程止まっていから
もしかしたらもう戻って来ないのではないかと思っていて
まあそれでも別にいいかと思っていたのだけれど。

ただ、ここ2週間ほど、いわゆる生理前の時のように、下腹部が張って
なんとなく痛みを感じるような感覚があって
婦人科検診の予約を取ったところだった。
それは、やっぱり生理の兆候だったのかもしれない。

もう、買うことはないのかなと漠然と思っていた生理用ナプキンを買いに行った。
以前買おいていたものは、震災の時被災地に送ってしまったのだ。
見慣れたパッケージの並びに、私が初めて見るものもある。
あまりに久しぶりだったので、棚の前でいろいろと観察してしまった。

生理が戻って来た時、覚えた感情は、嬉しさと安心だった。
病気のことを考えて不安になったのはその後だった。
結構シビアな抗がん剤の点滴を、リミットまで回数を重ねたから
もうたぶん生理は戻って来ないと思っていたのだ。
パクリタキセルの副作用のしびれがきつくなってきて
先生も「もうこの辺でストップしてもいいですが」といったけれど
どうしても12回点滴を受けたくて、そうお願いした。
あんなふうに体中影響が出ているんだったら
そりゃあ婦人科系にも影響があるでしょうよ、と体で納得していた。

だから、驚いたのだ。
足のしびれがなくなり、むくみもとれ、あまりはかないけどハイヒールもまたはけるようになった。
そんな風に、子宮や、そこに指令を出すようなホルモン系なんかも元気に復活したんだ。
病気のことを考えれば、たぶんまた止めることになるのだろうけれど、
体もほんとに頑張って、健やかになろうとしているんだ。

不安だったり、焦ったり、恨み言を言ったりしながらなんとか進んでいる自分が気付かない内に
体の内側も、すごく頑張っている。

とにかく、ドクターには相談をしなくてはいけない。

私の場合は術前化学療法からずっと生理が止まっていたので
ホルモン療法に移った時も、生理が戻ってくるまではタスオミンのみ
戻って来たらおそらく注射もということだったので。

この体と生きていく。
休める時はしっかり休んで、この体と生きていこう。
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# by reeelax | 2011-06-28 11:48 | 術後治療

知らない人と

金曜日は、落ち着いて仕事をこなすことができた。

一瞬業務がかさなりばたばたとしたけれども
無理にこなすのではなく、できないことはできないままにしていたら
当然のように別の人にそれを拾ってもらったり

ちょっと得意な仕事をふられて、体が覚えている感じがとても嬉しかったり

失敗もしたけれども、知らないのは当たり前のことだったので
きっちり反省した後は自分をせめすぎることもなく

割とありのままの自分を、飾り立てずに職場の人に見てもらうことができたような気がして
あ、これでいいのかもという小さな満足感を持って
職場を後にした。

少し気持ちが高ぶっていたので
小さなカフェに入り、ここはお茶でもジュースでもなく、一杯飲むことにした。

カラフルな野菜のタパスと、冷たく透明なお酒。
祝杯なのかもしれない。
週末の華やいだ雰囲気の中、おひとりさまの女性もちらほらいて
小さな席で思い思いに自分の時間を過ごしている。
私も、返信を忘れていたメールを返しながらちょっとくつろぐ。

あともう少しでグラスが空くという時になって
女性の2人連れが入ってきた。
50代くらいだろうか、仲の好さそうな2人。
店内は満席だったので、私はちょっと急いで飲み干して
店員さんに片手を上げる。
お会計を済ませていると、入口の女性たちが話しかけてきた。
「悪いわね、追い出しちゃうみたいで」「いいえいいえ」「どうもありがとうね」
そして、店員さんも「申し訳ありません」「いえいえ、長居するつもりもなかったので」
と皆で笑顔を交わした。

改札に向かいながら、私は何と言っていいかわからない感情に胸が熱くなってしまった。
この、なんでもない、取るに足らないやり取り。
知らない人と交わす笑顔。
社会という大きな人の流れに私も戻ってきたという気持ち。

それは別に、偉いとか、達成したとかそういうことではなくて、
告知を受けたことにより、自分が望むと望まざるに関係なく
ある意味ばっさりと断ち切らざるを得なかった
「慣れ親しんだ、以前の立ち位置」に戻ってきた懐かしさなんだと思う。
今まで、断ち切ったことは、できるだけ考えないようにしてきた。
長期の治療を受け入れ、
少しでも思い出さないように、「告知以前」につながる持ち物は容赦なく捨てたりもした。

ここから、また始まるんだな。
大きな人の流れにのって、
知らない人と取るに足らない言葉を交わしながら
私の小さな日常を
泳いで行こう。
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# by reeelax | 2011-06-19 22:43 | 治療後②アルバイト

語りなおしのプロセスとは

哲学者の鷲田清一さんが書いた文章を読んだ。
震災から3か月ということで書かれたものが朝日新聞の記事になっていた。

昨日みたいな気持ちになった時にも、なんだか納得できる内容で
特に気に入った所を抜粋して残しておこうと思う。


*****

 子に先立たれた人、回復不能な重い病に侵された人、事業に失敗した人、職を失った人……。かれらがそうした理不尽な事実、納得しがたい事実をまぎれもないこととして受け容(い)れるためには、自分をこれまで編んできた物語を別なかたちで語りなおさなければならない。人生においては、そういう語りなおしが幾度も強いられる。そこでは過去の記憶ですら、語りなおされざるをえない。その意味で、これまでのわたしから別のわたしへの移行は、文字どおり命懸けである。このたびの震災で、親や子をなくし、家や職を失った人びとは、こうした語りのゼロ点に、否応(いやおう)もなく差し戻された。

 こうした語りなおしのプロセスは、もちろん人それぞれに異なっている。そしてその物語は、その人みずからが語りきらなければならない。戦後六十数年経っても、戦争で受けた傷、大切なだれかに死なれた事実をまだ受け容れられていない人がいるように、語りなおしのプロセスは、とてつもなく長いものになるかもしれない。

 語りなおしは苦しいプロセスである。そもそも人はほんとうに苦しいときは押し黙る。記憶を反芻(はんすう)することで、傷にさらに塩をまぶすようなことはしたくないからだ。あの人が逝って自分が生き残ったのはなぜか、そういう問いにはたぶん答えがないと知っているから、つい問いを抑え込んでしまう。だれかの前でようやっと口を開いても、体験していない人に言ってもわかるはずがないと口ごもってしまうし、こんな言葉でちゃんと伝わっているのだろうかと、一語一語、感触を確かめながらしか話せないから、語りは往々にして途切れがちになる……。

 語りなおすというのは、自分の苦しみへの関係を変えようとすることだ。だから当事者みずからが語りきらねばならない。が、これはひどく苦しい過程なので、できればよき聞き役が要る。マラソンの伴走者のような。

 けれども、語りなおしは沈黙をはさんで訥々(とつとつ)としかなされないために、聴く者はひたすら待つということに耐えられず、つい言葉を迎えにゆく。「あなたが言いたいのはこういうことじゃないの?」と。言葉を呑み込みかけているときに、すらすらとした言葉を向けられれば、だれしもそれに飛びついてしまう。他人がかわりに編むその物語が一条の光のように感じられてそれに乗る。自分でとぎれとぎれに言葉を紡ぎだす苦しい時をまたぎ越して。こうして、みずから語りきるはずのそのプロセスが横取りされてしまう。言葉がこぼれ落ちるのを待ち、しかと受け取るはずの者の、その前のめりの聴き方が、やっと出かけた言葉を逸(そ)らせてしまうのだ。聴くというのは、思うほどたやすいことではない。

*2011.6.11朝日新聞朝刊 一部抜粋

全体を書き写したと思われるものがこちらにありました。
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# by reeelax | 2011-06-14 09:38 | 覚えておきたいこと

34歳 シングル 始まりは乳がんstageⅢC。術前化学療法・部分切除・放射線治療・術後ハーセプチンまで終了。現在ホルモン療法中。自分の心と体を大事な友人のように扱いながら治療の日々を過ごしてきました。


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