カテゴリ:日々のこと( 66 )

回復した日々に

リュープリンが始まって、
ホットフラッシュが復活した。
少しうごくと汗だくである。


このところ、治療が少し落ち着いてきたこともあって
ブログを書く機会が減ってしまった。

その理由は、日々の生活がだんだん活発になってきたことが一番大きい。

その一方で、自分の心の中に、漠然とある思いのようなものがあったのだけれど
どのように書けばいいのかよくわからず、
ついためらってしまうようになった。
今までは、なんでもほぼ殴り書きに近い状態であったのに、
今回はほんとうに漠然とした思いだったため、
目先の楽しいことに集中してあまり思い悩まずにいたようだ。

私は乳がんの初期治療の中では割と長期に渡る治療を受けてきた。
結果は、有難いことに本当に良いもので、まだ治療は続いているけれど
日常生活に不自由はないし、胸の変形もなく、着るものも支障がない。
治療の間に、見送った病友は割といた。
ほぼ同じ時期に、似たような治療を受けてきた何人かは、もうこの世界にはいない。
だから私は、今自分がここにいることを、とても貴重なことだと思っている。

それでも、ふとした時に思うのである。
やっぱり、治療生活では自尊心みたいなものが犠牲になったなあと。
自分の命があることを大切に思っている、と書いたことと矛盾しているかもしれないけれど
病院で患者として過ごす中で、私は傷ついてきたなあと思う。
きっとうまく整理して書けないだろうけれど、今日はとにかくここに書いてみようと思う。

たとえばそっけなく扱われること、
ドクターやナースは、仕事上どうしても感情を抑え気味の対応になるから。
もちろん全員がそうではないけれども。
なんだか自分が悪いことをしているような、無愛想な対応などを受けたりしたこともあったし
そうすると、自分で好んでがんになったわけではないのにどうして、と傷ついた。

単に私の人生経験が足りないだけなのかもしれないけれど。
仲の良い友人、人間関係もそこそこよい職場で過ごして来て、
皆で雰囲気よく何かに取り組んで行くことを決まり事のように思って来た。
丁寧なサービスを受けると心があたたかくなるから、
小さくても、心のこもったサービスをしてくれる店や店員さんを探すのが好きだった。
そういう人たちと、慣れ合いではない、心地の良いコミュニケーションを取ることを大切に思ってきたから
病院内のそっけなさは、心の弱っていた私にはきつかったようだ。

それから、患者さん同士のちょっとしたこと。
やはり、患者会も症状が似ている人同志で仲良くなることが多かったりする。
場所によっては、症状が進んでいると、遠ざけられてしまうことがあったりした。
みな、怖いのかもしれないし、それは仕方がないのかもしれないけど
そういうことも、傷ついた。
もちろんそういう場所だけではなく、いろんなことを相談しあえる仲間もたくさんできたけれど。

以前の職場関係者とはあまり連絡を取っていないことは前にも書いた。
病名を言いたくない、かわいそうと思われたくない、死を連想されたくない、と思ったから
新しい場所でアルバイトを始めた。
でもそこでも「なぜ?」と聞かれれば、適当なことを言ってのらくらとかわしてきた。
かわしてきたけれど、ストレスがたまる。
病気をして、私はきつい治療を受けてきたんです。
やっと回復してきたけどアルバイトで短時間働くのがやっとなんですよ。
そんなこと言えば、噂になるし、今後の仕事に偏見も生まれるだろうから、黙っている。
本当のことを言っていないことへの罪悪感だって、普段は感じないように図太くいるつもりだけど
ゼロではないのだ。
病気以前の、自分の積み上げてきた実績に直接つながる仕事をなぜしないのか、
とアルバイト先の人もいぶかしんでいるけれど、そういうのを気付かぬふりをすることも、小さな痛みを感じる。

結局、集約されるのは、病気のことを受け入れてはいるけれど
社会生活を送ろうと思えば、病気のことを隠さざるを得ない状況があるし
隠していると、キャリアダウンして、一体何やってるの?という周囲の目にすごく影響されてしまう。

はじめの方で書いた自尊心が傷つく、とは少し離れてしまったかもしれないけれど
自分で自分の価値をなかなか認めにくい状況になっているのは確かなのだ。

変な話、経歴コンプレックスがある(と噂に聞く)社員さんのアシストにつくと
露骨に意地悪をされることもある。
今まで私がいた環境では、考えられないような幼稚な仕打ちである。
そういう時はとても傷つく。
もちろん、私もそこそこいい年、そんなことをいちいち構っていたら進まないので
淡々と仕事をし、周りの同じような目に合っている同僚や心配してくれる先輩には正直に話してしまう。
それで仕事はまわっている。
でも本当は傷ついて、怒りさえ感じてしまう。
相手に対してもそうだけど、そういう立場で自分が働いているということを、悔しく思ってしまう自分がいる。

病気になって、その間に色々考えて、変えて、
告知からおよそ3年たった今、
以前より楽しんで生活ができている。

だけれども、闘病の間のショックや心の痛み、自尊心がぎゅっと小さくなってしまったことは
まだ残っているとはっきりわかる。

考えすぎかもしれない。自意識過剰だと笑われるかもしれない。
病気であってもなくても、人生はいいことばかりではないのだから。
でも、今はまだ、心の中に、傷が残っている。
傷は外から癒えていくというのは、本当なのかもしれない。
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by reeelax | 2011-09-13 12:51 | 日々のこと

歯医者通い

知覚過敏が進行してしまい、
歯医者さんに行ったら
いろいろ治すところを見つけられてしまって
思い切って一気に治すことにした。

抗がん剤と虫歯の関係はちょっと気になっていて・・・
化学療法中の感染症
http://www.gsic.jp/measure/me_03/01/02.html

あまりネガティブになりたくはないが
ここは私のブログだから書くけれども
もしも再発して、抗がん剤での治療を再開するということになったら
またしばらく歯医者は避けたい気持ちになるだろうと思ってしまった。

古いつめものを取り替えたり、
知覚過敏用の薬を塗ってもらったり
何度も歯医者さんへ通うのは面倒だけれど気分はいい。

歯医者さんへの道のりには
大きな庭のお宅があり、色とりどりの小さな花々がナチュラルガーデン風に植えてある横を
通って行く。
背の高いバラの木もあって、柔らかいパステルピンクの大きなバラがたくさん咲いている。
これがちょっとした楽しみだった。
今はベランダガーデンはお休みにしているから。
手入れをしている人の姿を見たことはないけれど
どんな人なんだろう。

親知らずを抜いたりもしたので
痛みで遠出をする気にもあまりなれなく
もともと計画していたことはそれほど達成できなかったけれど
体のケアを優先できた自分、これはこれでよしとしようかな。
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by reeelax | 2011-06-02 12:36 | 日々のこと

対等であること

災害のことがあったり、大切な病友を送ることになったりして
ちょっと下向きになっていました。
たくさんの情報が溢れ、色々な考え方を見て
私はどんな言葉を発すればよいのか分からなくなっていました。


それでもそんな情報の濁流が落ち着いてなお
上澄みのように
私の考えがたどり着くのは生き方のことです。

人は、各自自分のストーリーしか生きられないということです。
同じだけの情報があって、基準が与えられたとしても、
情報の役割とはそこまでなんだと思います。

ひとりひとりが背負っている事情が違えば、選択肢は変わってくるし
誰もが自分のストーリーを全部公開する必要がないと考えていると思うので
何が一番幸せなのかというのは、結局当人しか判断ができないということです。
だから他人がその領域に近づく時には
対等な関係性を保って接していくことが大事なんだろうと私は考えています。
知識の量、情報の質、置かれている立場が異なったとしても
人と人のスタンスは、それぞれの命の重さにおいて、対等なんじゃないかと思います。


私は学生時代に尊厳死や生命倫理を扱ったゼミを取ったことがあり
未熟ながらも数年単位でそのことについて考える機会がありました。
また、父ががんで闘病をし、残念な治療結果の後亡くなるまでを見届ける機会があり
さらに自分が30代の前半で乳がんの治療をフルコースで受けるという体験をして、
防ぎようのない、時には選択の余地のない環境にありながらも
過ごし方を探る中で、生き方とは本当に人それぞれなのだと思いました。
お互いを思いやるのは大事だけれど
生き方の選択は、助け合って行う性質のものではないのではないかと
私は自分の経験を通して考えるようになりました。あくまで私の考えです。


ですから、他の多くの人と同じ行動をしていれば安心だという
「集団同調性バイアス」と呼ばれる心理状態に陥ることには
特に気をつけるようにしていたと思います。私は自分で生き方を決めて行きたかったからです。


話が支離滅裂になってしまいましたが、
何でこんなことを書いているかというと
災害の被害を受けている方々に対し
「善意」という言葉を振りかざしていれば、
何でもコントロールできると勘違いしている人の発言を
ネットで拾ってしまったりして、ああ、人の領域を侵害しているなあと残念に思ったからです。

被害を受けた方はとても困っているし疲れているし、大変な状態にあるけれども
同じ人間です。
だから、施しを行う側と受ける側みたいなそういうスタンスの取り方は間違いだと思う。

対等性を崩さない関係の築き方はとても大事なんだと思います。
私の自治体にも、被害に合われた地域から移って来た方々がいます。
家族を失くされたこと、持ち物を全てなくしたこと、土地さえ水の下にという
想像を絶する体験をされた方たち。
後悔がないわけがない。自分を責めていないわけがない。怒りがないわけない。
溢れてきそうな気持ちをじっとせき止めているので精一杯のはず。
それでも今日という日を過ごして行くしか選択肢がないのです。

そんな方たちに対して
同じ情報を届けるにしても、もっとやり方があるだろうに。
余裕のある側が、自分の感情をそのままぶつけてどうする。
自分のエゴを満たしているだけです。
そこからは何も生まれません。私ならもっと別のやり方を考えます。
相手のことを思うからこそ、そっと届くように気をつけます。

命の重さは対等だし、
自分の目の前にいる相手がどんなストーリーを背負っているのかなんて
実際は全てはわからないのです。結局。
だからこそ、精一杯対等に、思いやりを持って接したい。
そういう謙虚さをもって、人との関係を築いて行きたいと思ってます。

今私はそんなことを考えています。
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by reeelax | 2011-04-17 21:31 | 日々のこと

ワインの箱

久し振りに整理をしようと、しまってあったものを出してきて捨てるものをまとめていた。
ワインをストックしていた箱が、色んなものの一番下にあったので空けてみた。
告知直後振りだと思う。

以前はワインが好きで、旅行先で記念に買ったりして
集めるともなく集まっていた。
ソムリエの友人に聞いたら、そこまで高級でないワインなら
セラーでなく冷蔵庫でも2年くらい寝かせておく分には構わないということだったので
冷蔵庫に入れっぱなしにしていたのだけれど
治療が決まった頃に、箱詰めにしてクローゼットの奥にしまってしまった。

乳がんとアルコールの関係は色々と語られているし
調査などもあるけれど。
告知を受けた時、自分を省みて過去の行動の色々なことを責めたものだけど
お酒もやっぱり良くなかったのかなあなどと考えたりした。
お酒の味自体も好きだったし、友人と楽しむディナーや、パーティー、
出張先のホテルのバーで、ひとりいただく一杯なども楽しく
あんなに楽しい時間だったのに、それが自分の病気の原因を作っていたかもしれないなんて
考えるだけで当時は本当に切なくて、悔しかった。

そして、抗がん剤を体に入れる間は、
体に負担をかけるようなものは避けて
力になりそうなもの、免疫力アップしそうなものをたっぷり入れて
治療を乗り切ろうと思ったので
とにかく急いで箱に詰めて、目の前から消してしまった。

久し振りに眺めたラベルはどれも懐かしく、
いただいたものは、送り主の顔を思い出したりして
ひととき、心が温かくなった。
その箱の一番底に、さらに箱に収まった一本があった。
何が入っていたのか記憶が全くなかったけれど
明けてみると、自分の生まれ年の赤ワインが出てきた。
その意外さにとても驚いたけど
確か、告知を受ける少し前、自分への誕生日祝いか何かで買ったのだったか。
もしかしたら昇進祝いだったのかもしれない。

私の生まれ年は、あまりよいビンテージではなかったようだけど
それでも買おうと思った自分がいたんだ。

今、再びそのワインと出会って。
この先、一緒にゆっくり熟成していけたらいいなと
心から思った。
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by reeelax | 2011-03-04 00:25 | 日々のこと

ラナンキュラス

帰り道、はじめて寄り道してみたとある駅ビルで
鮮やかな花屋が目に飛び込んできた。

青山フラワーマーケット、最近増えてきたけど
私はここのあまり気取らないかんじのディスプレイが好き。


ゆっくりと近づいて行くと、
瑞々しい花びらや、つやつやの葉っぱがだんだん見えて来る。
水差しいっぱいに、色んな種類のラナンキュラスが並んでいて圧巻で
しばらく眺めていた。

去年は、ラナンキュラスの小さな鉢植えを育てていたんだったな。
咲いても咲いても、次のつぼみがふくらんで、
大げさでなく、命の希望みたいなものを感じて、とても楽しませてもらった。

そして今年、私は帰宅ラッシュの中ラナンキュラスを見つけた。
一番色鮮やかな、明るいピンク色のものを5本選んで買って帰った。
お気に入りの、ガラスの花瓶に入れて飾ったら
やっぱり気分も明るくなった。
切花はやっぱりちょっと高いと思ったけど、アルバイトもしているんだし、買ってよかったよかった。
少しのことで気持ちって変えられる。
自分にしかできない、ちょっとしたことで、毎日をちょっとずつ居心地よく過ごそう。


仕事のことなんかでちょっと考え過ぎていたから、方の力を抜いて
あったかいお茶でものもう。
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by reeelax | 2011-02-02 11:03 | 日々のこと

手術から1年半

今年のクリスマスは、静かに、小ぢんまりと楽しんだ。
お気に入りのお店でチキンをオーダーし、
メゾンカイザーのパンを買ってきて
アボカドのサラダやバーニャカウダ、デザートやジュースを用意して
お菓子もたくさん並べた、暖かい部屋。

私は、映画「アメリ」で彼女が寝室でたくさんのキャンドルを灯しているシーンが大好きなのだけれど
それをまねて、たくさんのキャンドルを並べた。
静かにまたたく、暖かい光を見ていると、平和な、落ち着いた気分になる。

今年1年は、やってみようと思ったことにどんどん手を付けてきた。
ほんとうにまとまりもなく、脈絡もなく思ったままに。
その小さな充実感をかみ締める。

手術から1年半が過ぎて、体も大分元通りになってきた気がする。
常に感じていた術側の腕のだるさや乳房の張りはほぼ感じなくなった。
腕を上げるのも抵抗なく、ほぼ垂直に上がるようになった。
パクリタキセルの副作用のしびれも、よくよく確認してみれば
足指先にほんの少し感覚の鈍い部分があるかも・・・という程度。
爪は、数本だけ、爪の白い部分が太くなっているので
マニキュアは欠かせないけれど、あとは元通り。

ホットフラッシュはまだまだあるけれど、対処が上手になってきた。

そして体は、健やかで。

今年は、目の前のことだけを見て、楽しんで過ごすことができた。
来年の自分はどんな風だろう。
アルバイトを切り替えたり、何かを始めたくなってくる。
つい、先のことを考えて、段取りして計画を立てたくなる。

でも、2年目の検診が終わるまでは待ったほうがいい。
そんな声が自分の中からどうしても聞こえてくるから
何となくそれに従っておこう。

暖かい部屋の中で、今をしっかり見つめて
年を越そう。
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by reeelax | 2010-12-27 21:06 | 日々のこと

食べて祈って恋をして

少し前になるけれど
「食べて、祈って、恋をして」という映画を見た。
もちろん、レディースデーで1000円の日に、
ネットでチケットを予約して、並ばずに・・・と、体にもお財布にもできるだけやさしく。

ジュリアロバーツが演じるアメリカ人の女性ライターが
イタリア、インド、バリへと旅する。
大きなスクリーンで、美しい映像に目を奪われた。
旅先というのは、普段と違う光を感じるもの。
こんな色の朝日は、毎日の生活では見ないなあ、とか
こんなにくっきりした木漏れ日が差し込んでくることはないよね、
などと思うそういう瞬間に、私はいつもと違う場所に来ているんだ・・・と思う。

この映画にもそんな瞬間がたくさんあって、とても楽しめた。
インドもバリも行ったことがないけれども、何だか既に一度出かけて来たような気分。

前から旅行が大好きなので
実際に赴いたことでしか体験できないことがあるのは分かっている。
それでも、今の時代
こんな素敵な映画が作られたり、
PCから色々なサイトに出かけたりすることができる。
普段の生活を守りながら、楽しいことのつまみ食いができる。

体力も、そしてお金も、以前のようには都合がつかない今だからこそ
そういうつまみ食いやバーチャルな体験を上手に楽しんで、
小さいながらもメリハリのある生き方をしたい。

以前は体力もあったし、若い自分は広い世界を知らないと思っていたから
何でも実際に体験してみることを優先させようとしてきた。
そうすることでしか、成長できないのではないか・・・という脅迫観念みたいなものがあったのかもしれない。

時を経て、病気も経験して、
体のスペックが少し変わって、そして、生き方に対する考え方もゆっくりと変わっている。
私が、少しずつ、適応しているんだ・・・と思おう。

以前だったら、あの映画を見た後は
「よし、バリに行かなければ」「長期の休みを取らなくては」「ヨガの体験コースに申し込まなくちゃ」
などと”to do リスト”が頭の中に広がっていたと思う。
そして「バリに行ったことのない自分」「1年間の休みなんかとても取れない自分」などと追い詰めたりして。
そんな自分が微笑ましくもあるけれど・・・

今の自分は
映画の余韻を反芻しながら過ごすことしばらく。
そしてテレビでバリの番組を録画して、本屋さんでガイドブックを立ち読みして、
自分でアロマオイルのマッサージをしてみる。
原作本を見つけたのをきっかけに、ネットでオーディオブックをさらに安い値段で見つけ
アイポッドで聞きながら、洗濯物を干す。
一番心地よいのが、こういう穏やかな時間の流れ。
そして時々は、小さな旅をして・・・

職場に行けば、いつの間にか他人と自分を比べたり
社会のつながりの中で劣等感を感じることもある。
ここが人生の大きなターニングポイントだとしたら、いまから巻き返せるのでは?自分には何ができる?
と焦って、頭がはちきれそうになることもある。

そんな自分もいるけれど、新しい体が一番心地よい暮らし方を大切にしたいと心から思う。
心もゆっくり変わって行っている。だから大丈夫。

「食べて祈って恋をして」
この映画、このタイミングで出会えてなんだかよかった。
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by reeelax | 2010-11-15 09:37 | 日々のこと

8月に

今年の夏は猛暑らしい。
ホットフラッシュで暑く、体力を奪われるのが恐いくらい。


だから涼を取ることに積極的に過ごしている。
暑くて眠れないのが一番良くないだろうと思ったので
クーラーと扇風機をタイマー指定
シーツの下にはひんやりジェルマット
アイスノンも常備
入浴剤もペパーミントでひんやり感のあるものを。

せっせと歩いていた駅までの道も、
職場に着く前にグッタリしては意味がないと割り切って
家のすぐ近くにあるバス停から、
コミュニティーバスを使って涼しくらくちんに。

冷たいものは飲みすぎない程度に。
でもこれは気が緩むとついつい氷を入れてしまう。

着るものなども、結構新しくした。
病気前から体重が増えてしまったこともあるけれど
そういう服は思い切って捨てて(ゴミ袋に4つも5つも)
肌に優しく、涼しく、どんどん洗えるもの。

今朝は久し振りにメディテーションをした。
ポッドキャストでMeditation Oasisという番組を見つけて
ダウンロード。

そして白いタスオミンを一錠。

私のできることは、そんなことくらいだ。


夏前に、病友を見送った。

一緒に治療をしてきたが、色々な事情が重なって、
あっという間に旅立ってしまった。
思いは、上手く言葉にできないし
正面から受け止める勇気も、まだない。
だからあえてお線香を上げに行こうとか、そういうことができない。
まだまだ自分のことで精一杯の自分を今は受け入れている。

それでも私は、こういう人生を歩んで行こうと思っている。

窓際で手を合わせて、そして洋服を着替えて
私の今日を、精一杯味わうだけだ。

支えてくれる周りの人に
自分からも手を伸ばして
ぬくもりを感じながら、
歩んで行こうと思っている。
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by reeelax | 2010-08-20 10:54 | 日々のこと

憧れの朝食を手に入れる

関心のあることというのは引き寄せ合うのか、
ちょっと嬉しいことがあった。

ひとつ前の記事の「一ヶ月のパリジェンヌ」という本を見つけてから
人生何度目かのパリブームが私の中にやって来た。
パリと付く本を本棚から引っ張り出してみたり
図書館から借りてきたり。



私のパリへの憧れの中に、
非常にステレオタイプなのだけれども
「朝、近所のパンやさんに歩いて行って焼きたてバゲットを買いに行く」
というのがある。
すらりとしたバゲットを紙袋に入れてもらい
新聞と一緒に買って部屋に戻る、みたいな感じで。

パンは焼きたてが一番おいしいものだから、自分の部屋のごく近所に
そういうお店があったらいいな~と思ったりもしたけれど
ここは日本、しかも都会ではない住宅地のど真ん中
コンビニやらスーパーは、近所に沢山あっても
おいしいパン屋さんはない。
出来合いのパンではなく、ホームベーカリーの焼きたてパンでもなく、
パン屋さんに歩いて行くこと。
私の生活の中では
週末の昼に、彼に車でお気に入りのパンやさんに連れて行ってもらうことが
最もそのイメージに近い行為だ。
自分としては乳製品も控えている訳なので
まあそれでそこそこ満足していたのだけれど。



ところが先日病院へ行って
病友さんとお話しながら診察を待っていると
その方が大きな荷物を持っている。
遠くから通って来ている彼女は
病院へ来る途中に大好きなパン屋さんがあり、
診察の度に大量買いしていると言って、何と少し分けてくれた。
香ばしいバゲット。かみ締めるとバターと粉のいい香り。

よく聞いてみると、そのお店は私の使う駅に近いと言う。
もっとよく聞いてみると、その駅から、私の部屋の方に進んだ場所にある。

説明がかなり長くなったが、歩いて5分の所に、(おいしい)パンやさんがあったのだ。

とても小さくて、3人もお客さんが入れば一杯の小さな店。
パンが売れてしまえば夕方には閉店してしまう。
でも、何かちょっと頑張った時、ゆっくり起きた朝に
すっぴんのままキャップを被ってまだ温かいパンを手に入れることができる。
こんな絵に描いたような偶然は、私の住んでいる場所ではまず無理だと思っていた。
これから私のご褒美に、レパートリーがひとつ増えた。

今日も、焼きたての小さなバゲットを買ってきて
たっぷりのほうじ茶&豆乳と一緒に朝食を楽しんだ。



病友さんに話を聞かなければ、このまま出会うことはなかったかもしれない。
灯台下暗し。
小さなハッピーの種は、自分の近くにも本当に落ちているのだなと改めて感じた。
日常を大事にすることは
体が回復しても忘れないようにしよう。
そうやってバランスを、とって行こうと思う。



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by reeelax | 2010-03-11 16:24 | 日々のこと

遅ればせの新年会

南国旅行仲間で遅ればせの新年会を開いた。

純粋に同じ趣味ということでつながった間柄だからか
毎回の集まりは妙に出席率が良い。

私だけが久々の参加かと思ったら
しばらく集まっていなかったそうで
皆口々に久し振り、を言い合っている。

病気のことを知っている子は、皆に聞こえないように体調を聞いてくれたり
自然に気遣ってくれる。
お母様が乳がんの手術を受けたばかりの子などもいて
保険のことや検診のことなどをそっと情報交換したりもした。
信頼できる友達の所に戻って来れてよかった。

患者ではない友達に病気のことを話すことをどうするか
それは人によって様々のようで
患者会などでも時に話題になったりする。

私はステージが進んでいたことや
自分でも相当落ち込んでしまったことなどから
ほとんど誰にも話さなかった。
話すことができなかった。

術前化学療法→手術→放射線→術後化学療法そしてホルモン療法。
乳がん治療のフルコースをほとんど終えた今になってはじめて
少しずつ話すことができるようになった。
そしてそれを受け止めてもらった。

自分の病気のことをいつ誰にどれくらい話すか。
それは自分だけが決めていいことなのだと思う。
自分の経験を通して
検診の意義や保険のことを周りに伝えるのは意義のあることだけれど
ちょっとでも無理だ、キツイと思ったら話さなくてOKだと
私はそう考えてきた。


自分は患者だから、乳がんのことをそれこそ必死で勉強した。
そしてサバイバーになるために、こつこつと治療を受けているわけだけれど---
周りの人は皆が知識を持っているわけでもないから
とんでもない偏見が飛んでくる可能性もあるし、
自分の知らないところで伝わってしまうこともあるし。
治療で体も相当大変だけれど、心だって因幡の白兎状態でヒリヒリしているわけだから
普段以上に守りの体制を引いてきた。


もし今、病気の事を友達に黙っていても
言わない、伝えないということに罪悪感を持たなくていい。
いつしか、言いたい時伝えたい相手が自然に見えてくる。
私はすごく時間がかかってしまったけど
今笑って、新年会の席につけたことがとても嬉しい。
冷たい夜の風で体を冷やさないように、マフラーをぐるぐる巻きにして帰った。


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by reeelax | 2010-02-04 21:07 | 日々のこと

34歳 シングル 始まりは乳がんstageⅢC。術前化学療法・部分切除・放射線治療・術後ハーセプチンまで終了。現在ホルモン療法中。自分の心と体を大事な友人のように扱いながら治療の日々を過ごしてきました。


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