カテゴリ:術後治療( 14 )

術後7年 元気です

お久しぶりです。
抗がん剤スタートから8年、術後7年が経ちました。
今の所、再発もなく、元気です。

病院には継続して定期的に通っており、
1年に1度は超音波や血液検査をしてもらうという形です。
毎日タスオミンを服用していますが、最近は忘れがちなので、これは反省です。

また、不定期ですが相変わらず生理はあります。

ここ2、3年程、体の調子が本当に良くなったのを実感しています。
放射線直後は、体の中に熱がこもっているような感じがあり、夏は本当にだるかったです。
一部毛穴もふさがっていましたから、汗がうまくかけなかったのでしょうか。
また、ホットフラッシュもほとんどなくなり、薬の効果としては分かりませんが体の感覚としては楽です。
抗がん剤は心臓や腎臓、肝臓にもダメージを与えましたが、漠然としただる主な感じが抜けてきて、気力や集中力が保てるようになりました。
脇の下のリンパを取った右腕も、重いものはまだ持ちませんが、洗濯物を干すときのだるさや、着替えの時の不自由さはほとんど感じません。

これは、有り難いことにずっと回復の日々を送ってこられたこともそうですし、
昨年からスポーツジムにも通い始めたからかもしれません。

私はがんの告知を受けたのが、まさに2回前のオリンピック、北京オリンピックの開幕時だったのですが、今年、リオオリンピックを見ることができてとても感慨深かったです。

乳がんは長くつきあう病だということは先生にも言われましたし、情報としても知っていたつもりでした。でも告知を受けた時はステージも進んでいましたし、度重なる治療の末亡くなった父の姿がフラッシュバックして、とても前向きに考える余裕はありませんでした。きらびやかな開会式をひとりの部屋で見ながら、もうオリンピックを見ることもないのかなあと放心していました。

事実、同じステージIIIで知り合った病友さんたちの何人かとはお別れも経験していますので、今でも恐怖感はあります。だから治療がひと段落してもセールで来年の自分のために服を買う気にはなれなかったし、年金を払って何十年先の自分に備えたところで、存在していないかもしれないのに何の意味があるのかという気持ちでいました。

でも今年、またオリンピックを見ることができて、自分の中で少しだけですが、気長に行こうという気持ちが強まりました。メダリストたちにもいろいろな物語があり、その上で闘っていることを知ると、私は私でつらい気持ちを持ちながらも、前を向かなくてはいけないと奮い立つような気持ちになりました。

そう、つらい気持ちは持っていてもいい、けれども同時に少し先の未来の自分のためにも、できることは努力しよう、という気持ちが生まれました。

実は前回、術後6年のブログをアップした時くらいから、私は新たなしんどさと向き合ってきました。

体の調子が良くなり、仕事もそこそこちゃんとやり、髪も伸び、やせた自分。何となく、昔の自分に戻れたような気すらして、治療に入ってから連絡を絶っていた人たちとも久しぶりに会うようにもなりました。皆が私のことを心配してくれていたことはとても嬉しかったけれど、同時にやっぱり人生のブランクを感じざるを得ませんでした。

社会的に成功している友達、立派に子育てしている先輩。とてもまぶしく見えました。
これだけ長い時間をかけて、自分の生き方に納得していたつもりでも、私は何かを失ってしまった、と感じてしまう自分が情けなかった。いろんな気持ちでざわざわとして、何度も泣きました。

でも同時にこう考えていました。社会に戻って行くということは、資本主義の社会の中で生きていくことだし、社会の中で居場所を見つけることでもあります。だから理由はどうあれ、治療という形で一旦その枠組みを離れたのだから、喪失感があっても当然だと。

努力を続けて、華やかなキャリアを進み続けている友人はうらやましい。かわいい子供と一緒に写真を撮っている先輩もうらやましい。何となく、そういう人生を歩むものだと思っていたから、心の底にすりこみがあるのです。治療生活から離れて、社会に戻ってみて、さらに昔の自分とつながっていた人たちの姿を見ると、まるで夢から覚めたようにあっけなく、昔の価値観に引き戻されてしまう自分がいました。あんなにつらい治療を乗り越えて今ここに立っているのに、そのことを誇らしく思えないなんて、自分はほんとうにばかだなあと思ったし、とても恰好悪いですが、なんで私が・・・という気持ちが未だに消せないんだな、子供だ、とあきれもしました。

そして急いで思い出しました。治療前と同じ仕事に、同じペースで戻っていいのか、というのは本当に飽きるほど考えたけれど、今の自分には難しいし、せっかくだから他のことに挑戦してみようという結論を出したのだったと。

私は、出世レースにはもう戻らない。子供も産めないから、子供なしの人生を進むことをシンプルに考えれば良い。いつも何とかここまで思考をひっぱって、落ち着こうとしています。

まったくまとまりがないですね。
でも、一気に書いてすっきりしました。
書いている間、涙がずっと流れていました。
でも普段我慢しているから、いいですよね。
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by reeelax | 2016-09-16 16:52 | 術後治療

術後6年 穏やかです

大変にご無沙汰しています。
術後6年、再発なしで無事にここにいます。

今日は、記録として残しておきたいことを一旦投稿したいと思います。

相変わらず、毎日一粒、女性ホルモンを抑える薬を飲んでいます。
病気のことが日常に紛れて行くに従い、つい飲み忘れてしまうこともあるので
外出の時持ち歩く化粧品のポーチに、何錠か入れておくことにしています。

病院には3カ月に一度通い、血液検査や超音波、触診も定期的に受けています。

生理が年に何度かありますが、あまり気にしないようにして
薬を飲むのを忘れないように過ごしています。
先生方は、そうこうしているうちに早めに閉経が訪れるのではと考えているようです。

先生方も何人か入れ替わって
長い化学療法の期間、生まれて初めての手術、真夏に通った放射線の期間、その後も続いたハーセプチンの点滴の間
いつもいつも泣いてばかりだった私のことを知りません。

それでも、私の記録を見て
再発を見逃さないよう、できるだけのことをしてくださっています。
今はそれがとても心強い。

でも、ここに戻ってくると、涙が出ますね。
キーボードを打ちながら、未だに、泣いてしまいます。
何ででしょうね。

別の機会に、改めて、今の自分の心の中も整理したいと思っています。

PS
コメントを書いてくださったみなさん、どうもありがとうございます。
懐かしいお名前も拝見して、とても嬉しくなりました。
今、まさに治療中の方もいらっしゃるようで、心から応援しています。
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by reeelax | 2015-11-03 14:18 | 術後治療

術後5年の毎日

こんにちは

コメントを入れてくださった方、ずっとお返事をしておらずに
大変心苦しく思っております。

読ませていただいて、胸にこみ上げてくる思いが色々あるのですが
上手に言葉にならずにすみません。

ただ、同じような状況の方が検索でこのブログを見てくれることもある様なので
コメント欄の素敵なメッセージを見たら
孤独感がきっと和らぐのではないかなと思い
公開にさせていただいています。
御理解いただけたら嬉しいです。



先日から、やはり昔の生活を懐かしむ自分とのたたかいは
じわじわと消えずに残っています。
体が元気になった分、周りとの比較に敏感になっているようです。

ですが最近は「小さく暮らす」という考え方を気に入って、実行しようとしています。
まず、とにかく物を捨てて、必要なものだけをそばに残すことにしました。

本→宅配の買い取りに出しました。実は、診断された直後から、もしかしたら家で最後の日々を過ごすことになるかもしれない・・・と思い、気になる本を本棚いっぱいに集めていたのです。
でも今はお散歩がてら図書館に行ける体力と、時間があります。ですから一部、売りました。
病気に関する本も、相当買い込みました。再発した時のためにととっておいたのですが
今はネットもあるし、その頃にはガイドラインも進化しているだとう思い、ありがとうの気持ちを込めて売りました。

服→これも宅配の買い取りで売りました。微々たるものですが、まったく捨てるよりはいいかなと。着古しのパジャマ、化学療法治療中に来ていた部屋着やバンダナや帽子、かつらは、いたんでいるものは思い切って捨てました。いままでありがとう、さようなら、という言葉を添えて。
会社員時代に着ていた服は質の良いものが多いですが、デザインも古いので思い切って捨てたものも何着かあります。

そして、またいつか必要になるかもしれないと思いとっておいた仕事関係のものも、古い食器も、たくさん捨てました。
ずっと段ボールにはいったまま使っていなかったからです。
捨てても何ら支障がないことに気付き、
私の毎日は、確実にあたらしい方向に開けているのだと
体感として理解できて、良かったです。

先日の記事にも書きましたが、幸せって何なのか。
今の私にとってはうまいこと小さく暮らすことが幸せです。

トレンドのお洋服やバッグはもちろんまだまだ大好きです。
豪華な旅行も行きたい。
ですが、もともとシンプルな装いが好きなことを優先して
手触りの良い落ち着いた色の服を少しだけ持って
バッグも、靴も、良い物を少しだけ。
そういう自分にあったスタイルが大丈夫な職場にいることを感謝して。
お洒落なランチは毎日のように食べなくても
自分で作ったお弁当は自信を与えてくれます。

バリバリはたらいていたころの自分だったら
どう思うだろう?しょぼいなって思うだろうか?
でも時間があるから、じっくり服を選んで、少なくてもお気に入りのワードローブがつくれるし
時間があるから、安くておいしくて、体に良いお弁当を作ることができる。
時間があるから、興味のある映画も、コンサートも、そして学校にも行ける。
働きすぎて疲弊していないから、お酒をたくさん飲んで倒れるように寝なくてもいい。
そうきっと、時間があって心の余裕があることは悪くないって思っているはずです。

今の暮らしは、思い描いていたものとちょっと違います。
だけど、なかなか悪くないのでは?って思う瞬間も確実にあります。

最後には、幸せだった!と笑っていたい。
そのために、毎日毎日、自分を大切にして行きたい。
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by reeelax | 2014-09-20 16:06 | 術後治療

リュープリン開始

血液検査の結果、女性ホルモンの分泌が、閉経前の状態にまで上がっていることがわかった。

ということで、リュープリンの注射を開始することになった。
検査結果が出てすぐ、私は夏休みで旅行に出かけることになっていたので
旅行から帰ってから注射を受けることを許可してもらった。

3年前、抗がん剤を初めて投与するときと似ていた。
あの時は、もう旅行も最後かもしれないと思って、一番お気に入りの場所に行って来たのだった。
今回は、偶然だけれど二番目に好きな場所への旅行だった。
副作用など不安を感じたくなかったので、戻ってからという選択をした。

リュープリンは3か月に1回を2年間の予定。

最近、すっかり病気に関する勉強をさぼっているのであわてて検索。
http://www.gsic.jp/medicine/mc_01/leuplin/

脳下垂体に影響する薬。。。というので漠然とした、不安感があった。
それでも、治療は受けることに決めているから大したことはない。

結局、注射は20秒ほどで終わり、劇的な副作用もなく安心した。
注射後3日間くらいは注射されたおなかの皮膚の回りがいたく、ほんのり赤く熱を持った。
驚いたのは、2日後くらいからホットフラッシュが復活したこと。
気持ち的なものなのか、本当に薬が効き始めたのか
なんだか懐かしいホットフラッシュに、少し安心した。



今まで、術後約2年間は抗がん剤の影響もあってか
タスオミンだけで生理が止まっていた。
リュープリンをこれからはじめることで
この先2年間、生理を止める計画。
2年というある程度まとまった期間
再発を阻止する努力を続けられる、そのカードが残っていることに感謝しよう。

私の乳がんのタイプはトリプルポジティブなので
ホルモン感受性も、HER2も陽性。
はじめてそれを認識した当時は、病気のことをあまり理解できていなかったこともあってか
なんだか周りの乳がん患者さんよりも条件が良くないのではと思って
事実ステージ3Cで発見されたということも手伝って
膝から力が抜けて行くような絶望感で一杯だった。

それでも、病気について知識を得、いろいろな病状の病友を得、
それぞれの治療や、そして気持ちを知ることになると
私のように、手を変え品を変え治療を受けられるということも
そこまで悪いことだとは思わなくなってきた。
治療を受けることには苦痛も伴うし、もちろんお金もかかる。
それでもその代償に、ある程度の安心感を得ることもできるのは事実だ。

トリプルポジティブであったことは、自分の選択ではないにしろ
この先の2年という時間にある程度の前向きな気持ちを持って進めることを
大切に思いたい。

もうすぐ、夏が終わる。
瑞々しい梨をかみしめると、甘い香りとともに果汁がのどを降りて
体中にしみて行く。
自分の口の中から伝わる、ざくざくという音、
果肉の少しざらっとした舌触り
いつもいつも、私は生きている。

ぐっとくるこの気持ちを、私は忘れてはいけない。
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by reeelax | 2011-09-06 13:38 | 術後治療

生理が戻った(2年半を経て)

気が付けば、最近ホットフラッシュが随分楽になった。

体温調節が上手にできずに
ホットフラッシュと、その逆の寒さがあり
上着を着たり脱いだりめまぐるしかったのだが
その頻度が大分減り、一回の程度も軽くなっている。

タスオミン(ノルバデックスのジェネリック)を飲み続けて約2年。
体が薬に適応してきたのかなと思っていた。

そうしたらとても久しぶりに生理が来た。
はじめはただの軽い不正出血かと思っていたが、6日間ほど続く生理だった。
術前化学療法の時に1,2度来て以来2年半程止まっていから
もしかしたらもう戻って来ないのではないかと思っていて
まあそれでも別にいいかと思っていたのだけれど。

ただ、ここ2週間ほど、いわゆる生理前の時のように、下腹部が張って
なんとなく痛みを感じるような感覚があって
婦人科検診の予約を取ったところだった。
それは、やっぱり生理の兆候だったのかもしれない。

もう、買うことはないのかなと漠然と思っていた生理用ナプキンを買いに行った。
以前買おいていたものは、震災の時被災地に送ってしまったのだ。
見慣れたパッケージの並びに、私が初めて見るものもある。
あまりに久しぶりだったので、棚の前でいろいろと観察してしまった。

生理が戻って来た時、覚えた感情は、嬉しさと安心だった。
病気のことを考えて不安になったのはその後だった。
結構シビアな抗がん剤の点滴を、リミットまで回数を重ねたから
もうたぶん生理は戻って来ないと思っていたのだ。
パクリタキセルの副作用のしびれがきつくなってきて
先生も「もうこの辺でストップしてもいいですが」といったけれど
どうしても12回点滴を受けたくて、そうお願いした。
あんなふうに体中影響が出ているんだったら
そりゃあ婦人科系にも影響があるでしょうよ、と体で納得していた。

だから、驚いたのだ。
足のしびれがなくなり、むくみもとれ、あまりはかないけどハイヒールもまたはけるようになった。
そんな風に、子宮や、そこに指令を出すようなホルモン系なんかも元気に復活したんだ。
病気のことを考えれば、たぶんまた止めることになるのだろうけれど、
体もほんとに頑張って、健やかになろうとしているんだ。

不安だったり、焦ったり、恨み言を言ったりしながらなんとか進んでいる自分が気付かない内に
体の内側も、すごく頑張っている。

とにかく、ドクターには相談をしなくてはいけない。

私の場合は術前化学療法からずっと生理が止まっていたので
ホルモン療法に移った時も、生理が戻ってくるまではタスオミンのみ
戻って来たらおそらく注射もということだったので。

この体と生きていく。
休める時はしっかり休んで、この体と生きていこう。
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by reeelax | 2011-06-28 11:48 | 術後治療

術後3ヶ月の外科診察メモ-局所再発についてなど

前回少しだけ書いたけれど、
先週の外科の先生との診察での会話をメモ。


◆傷跡→炎症によりできていた傷口のポケット(へこみ)も塞がりましたね。
      傷口は、放射線の副作用が落ち着いた半年~1年後にしましょう。
      次回は3ヵ月後にまた見せてもらうことにするけれど、
      その前に傷口に変化があればいつでも連絡してきてください。


◆術前化学療法をしても、全切除を勧められる病友さんは少なくない。
私の場合はなぜ部分切除が可能だったのでしょうか。
また、変形が強くでると言われていた乳房の外側下部の手術であったのに
なぜ胸の形が変わらなかったのでしょうか。


術前化学療法が効果があったということに尽きる。
術前化学療法の意義というのは、腫瘍を小さくして、部分切除を可能にする
もしくは、部分切除の整容性をより高めることにあるからです。

腫瘍のできた場所が、皮膚の表面から比較的は離れていたこともある。
皮膚に近いと、腫瘍が小さくても手術で取り去る範囲が広くなることもある。
腫瘍がひとつしかなかったこともあると言えます。

確かに、外側下部の手術だと、変形が大きくでると言われているが
胸の形や大きさは人それぞれで、乳腺の量、張り、ボリューム、肌の具合などで
全然異なってくる。
本当に閉じてみるまでは細かいイメージはわからないというのが正直なところ。

逆に言うと、なぜ、このように形が変わらなかったのかということがきちんと予測できれば
どんな方にも、形の変わらない部分切除術が施せるということになるんですけれどね。

私の場合は、放射線をかけているので
1年くらいをかけて徐々に変形がかかる場合もあります。

(→放射線の先生からは、ボリュームの残り方、ブースト照射なしなどから考えると
あまり極端な変形はないと思われる、という予想をいただいている)

・・・これから部分切除を選択する方に向けて
何か参考になる情報が聞き出せればと思ったけれど、残念。
ただやはり、授乳をしていない胸には張りが残っているので
丸い形に作りやすいようではある。



◆気をゆるめたくなかったので、局所再発についてもあえて切り出してみた。


胸の触診は気をつけておくこと。

メスを入れた付近から出てくるのが本来の意味の局所再発と言えるだろう。
いわゆる取り残しのがん細胞が育ってくるということ。

術側の乳腺は残っているわけなので、
傷跡から離れていても、がんが発生するケースもある。

私の場合は、化学療法もかなり効果を認められていて
(切り出した部分においては胸も脇もがん細胞はひとつも見つからなかった)
さらに、放射線も範囲を広げて照射しており
さらに術後にはハーセプチンもタモキシフェンも投与している訳だから、
再発防止のための手は打てるだけ打っている。

しかしながら、再発しないとは言い切れないのがこの病気の残念なところ。
100人にひとりくらいは再発される方がいる。
でも、100人にひとりくらいですからね。
(話の流れから、母集団は『部分切除(温存)』をした患者さん)

その場合、しこりが小さい段階で見つけたとしても
全切除をおすすめする確率が高い。
それは単純に、もう放射線をかけられないからということだけでなしに
これだけ手を尽くしても、再び生まれてくる(または生き残った)がん細胞というのは
非常に悪質であるということだから。

ただ、もちろんその時には、同時再建という選択肢もありますから
また、形成の先生にも入ってもらいましょう。


前回の記事で、体にメスを入れることは最低限にしたい・・・と少し書いたけれど
それは、こんな話を聞いていたから。
あまり悲観的にはなりたくないけれども、
この先また手術を受ける可能性もあるのかと思うと、
今すぐ傷口を綺麗にしなければ!みたいな気持ちはまだ湧かない。
人それぞれだと思うけれど、私は痛みにも弱いしね。


先生の説明は分かりやすく落ち着いて聞けた。
同時に、特に楽観的な響きは感じられなかったことで
どんなに今までの経過が素晴らしいものでも
相対的に見れば自分は再発ハイリスクであって
先生は気を抜いていないんだなと思ったりした。

緩みがちだった気持ちが、またひきしまって
何だかわからないけれど、久し振りに玄米をたっぷり炊いて
赤だしのお味噌汁と一緒に食べた。

私は長距離ランナーなんだ。
今日もまた、進んでいこう。


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by reeelax | 2009-08-31 12:57 | 術後治療

二の腕の感覚ナシ&南の島の病友

手術後の体の変化について改めて感じたことをひとつ。


私はリンパ節をレベル2まで取るときに神経を触っているので
わきの下や二の腕の一部の感覚がほとんどない。

先生曰く、人間の体とはすごいもので
感覚の残っている部分が網目状に広がって、
感覚のない部分を徐々に狭めて行くことが多いとか。

経験者からお話を聞くと、
5年とか10年とかの長いスパンで感覚がゆっくりと戻ってくるというのと
「感覚がない」ということに慣れる、ということだった。



先日彼が「二の腕冷たいね」と突然言ったので
何故分かったのかと思って聞いたら、
何と彼が後ろから私の術側の二の腕にそっと触れていた。
私は全然それに気づいていなかったのだ。

彼に説明すると、びっくりしていた。
触れていた指を上下にこするようにしてもらうと
さすがに周りの部分の感覚もあるので、わかる。



感覚がないということは、術後から知っていたし
お風呂や着替えの時にもわかっていたけれども、
本当に感覚が無いんだなーとあらためて驚いた。
「怪我に注意してくださいね」と先生に言われたこともある。
確かにこれでは気づかないこともあるかも知れない。
注意しよう。



今日は病院友が南の島から写真を送って来た。
この間まで一緒に放射線を受けていた子だ。
白い砂と透明な海がまぶしい。

私が「いつ旅行に行けるかな」「日焼けはダメなんだよね?」などとボヤボヤ思っている間に
彼女はいとも簡単にためらいを飛び越えて行く。
退院の日程や髪の毛のこともそうだった。

じっと考え込んでしまう私に、
極端なくらい明快なお手本を見せてくれる人なのだ。


よし、私もいつか。
二の腕に注意しながら、海に行こう。
放射線も、終わりが見えて来た。


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by reeelax | 2009-08-26 20:44 | 術後治療

放射線についてガイドラインを読んでみる

そろそろ放射線が見えて来たので、
久し振りにお勉強。

科学的根拠に基づく 乳癌診療ガイドライン3. 放射線療法 2008年版

金原出版



難しそうな見た目だけれど
文章は簡潔だし、分かりやすかった。


以下、自分に特に関係のありそうなところをピックアップ・・・



*術前化学療法が行われた場合に術後照射は有用か

局所進行乳がんに対して術前化学療法が行われた症例の多くでは
術後照射を行うことが勧められる(推奨グレードB)

局所進行乳がんにおける術前化学療法は、
down stageによる手術の適応拡大や、遠隔転移の制御を目的に施行される。
(私の場合はこれに当てはまり、
手術は部分切除で乳房の変形もなく、今の所遠隔転移もないということになっている)


術前化学療法により原発層が縮小するほか、術前に化学療法を施行しない場合に比べ
病理学的腋窩リンパ節転移の出現頻度が訳10%程度低下することが知られている。

これまでの乳房切除後の照射に関する知見は
術前化学療法が行われていない奨励を対象としたものであり、
そのまま術前化学療法施行例にあてはめることには問題がある。

現時点では、術前化学療法を行った場合には
全例乳房切除後の照射を行うべきか判断できる十分な情報は揃っていない。
(中略)
現時点では進行期症例では術前化学療法を施行した場合においても
術後に放射線治療が必要と予想される。

術前化学療法を施行した後の病理組織学的所見がどのように予後に関連してくるかは
今後の研究課題である。



*乳房温存後の化学療法と照射のタイミングは

術後化学療法の有無に関わらず
照射をいつはじめるべきかについての根拠は十分でない。(推奨グレードC)


術後化学療法を施行しない例では、
局所制御には術後早期の照射開始が望ましい傾向にあるが
重要な因子ではなく、推奨に足る明確な時期はない。

ただ、
化学療法が必要な乳房温存療法の患者群は遠隔転移の高危険群であり、
生命予後の観点からは遠隔転移の制御が局所再発の制御に優先する。
その意味では、フルドーズの化学療法を行うための照射開始の遅れは
6ヶ月程度までは許容されると考えるのが妥当であると思われる。

(傷の回復を待っているので、術後期間があいているのが少し気になっていた)



*乳房温存術後の照射ではほとんどの症例において
急性期に軽度の放射線皮膚炎がみられ、しばらくは色素沈着が残る。



病院友さんを始め経験者にお話を聞き、時には見せていただきながら
私が感覚的に納得したことは
「赤くなる人も変わらない人も、人それぞれ。色が残ってもだいたい1年で元に戻る」。
ということ。
マーキングは普通に隠れる範囲で、色うつりもなし、というのが早めに分かったので
それも安心。
実はセールで放射線用のお洋服を買っておいたほうがいいのかなと
思っていたので助かった。


放射線の先生の意見を聞くための、下準備はできたかな。


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by reeelax | 2009-07-23 14:26 | 術後治療

胸の傷 本州→北アメリカ大陸風

先週記事にした時から10日程経っている。
あとは、一番上の皮膚が伸びて閉じれば終わりというところに来ていて
あれからまた毎日せっせとシャワーで洗ってはガーゼをあてている。

今や浸出液は殆ど出ないので
ガーゼをはずしたときにかさぶたがはがれて血が出ないように
プロスタンディン軟膏を出してもらって使ってきた。
こうすると、傷口が乾かず水分が保たれるので
治りも早くなるということ。



前回ミニ本州の形と言っていた傷口は、
なぜか真ん中あたりの皮膚の伸びがはやく、いち早く塞がった。
そのため残りの開いている部分がアメリカ大陸のように北と南に別れたようになって
さらに南アメリカ大陸にあたる下半分がほぼ塞がり・・・
という具合で、前回の半分程のサイズにまで。
小指の爪より小さくなった。
このまま行けば何とか7月中には傷が塞がってくれそう。


放射線が控えているから
毎日の通院はちょっと緊張するけれど
出かけたい気分になる夏の間なら頑張れそうかな。


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by reeelax | 2009-07-17 13:12 | 術後治療

術側の胸の様子

胸の傷は順調に自力で閉じてきている。

以前から
毎日傷口をシャワーで洗ってガーゼをあてておくことを続けて
最近は余裕が出てきて、ゆっくり体や髪(!)を洗っている。

診察室で傷口を見たときは小さな「木の葉」形に開いていた傷口から
新しい皮膚が伸びてきている。
現在、赤いお肉が見えている部分は
全長2.5センチほどの「本州」みたいな形になっている。
本当に安心。

皮膚が伸びてきているとは言っても色はフツウの肌の色とは違う
赤味の濃いあざのような色。
放射線が終わる頃にはどんな風に落ち着くのかわからないけれど
いずれ綺麗に切り取って修正をしましょうということになっている。


さて、傷口以外の術側の胸の様子だけれども
感染や傷口が開いてしまうというハプニングがあったにもかかわらず
赤味も引いており、
現在の見た目は、ボリュームも含めて今のところ健側と変わならい。

裸になってよく見れば、皮一枚分くらい術側の胸がやせている感じはする。
傷が下目外側にあるので、今は術後ブラを使っているけれど
今後はワイヤーにさえ気をつければ普通のブラジャーが使えるだろうなと思う。

胸が大きいために、
手術前にはボリュームの変化のことを思って不安になったりしたけれども
今持っている服は全て着られる。
(とはいえかなり太ってしまったので落とさないとシルエット的にまずい)


リンパ郭清の傷口は術後から今まで2ヶ月程テープを貼ったままだったのを
ついにはずした。
うす赤いような線が残っている。
場所は、キャミソールを着るとちょうどそでぐりのラインで隠れるようになっている。
これならば水着やウエットを着ても大丈夫。
さらに、6年生の病友さん情報によれば
この跡はだんだん色がとれて、しわと同化してくるらしい。



手術の直前の最終説明の時に、
「また水着で海に行きたいです」と言った私に
「大丈夫。全然あきらめる必要ないよ」と言ってくれた先生。
手術に関してはずっと確証めいた事を言わなかったけど
この時だけは結構力強く返してくれたことが印象に残っている。

先生の中では、こういう形にしようとかイメージしてくださっていたのか。
それともある程度成り行きのラッキーだったのか。
真相は分からないけれども
先生方との出会いや、色々なチャンスに恵まれたこと
きっと父が護っていてくれること
あらためて感謝の気持ちが湧いてくる。



放射線を経て、どんな風に変わっていくのかわからないけれど
穏やかに受け止めよう。


七夕の願いは、病気が大人しくしていてくれること。
皆の病気が、大人しくしていてくれますよう。


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by reeelax | 2009-07-07 21:23 | 術後治療

34歳 シングル 始まりは乳がんstageⅢC。術前化学療法・部分切除・放射線治療・術後ハーセプチンまで終了。現在ホルモン療法中。自分の心と体を大事な友人のように扱いながら治療の日々を過ごしてきました。


by reeelax
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