カテゴリ:術後治療
- リュープリン開始[ 2011-09-06 13:38 ]
- 生理が戻った(2年半を経て)[ 2011-06-28 11:48 ]
- 術後3ヶ月の外科診察メモ-局所再発についてなど[ 2009-08-31 12:57 ]
- 二の腕の感覚ナシ&南の島の病友[ 2009-08-26 20:44 ]
- 放射線についてガイドラインを読んでみる[ 2009-07-23 14:26 ]
- 胸の傷 本州→北アメリカ大陸風[ 2009-07-17 13:12 ]
- 術側の胸の様子[ 2009-07-07 21:23 ]
- 再縫合は延期[ 2009-06-25 23:34 ]
- 出産についての今の気持ち[ 2009-06-23 00:18 ]
- ホルモン療法と妊娠出産[ 2009-06-18 20:06 ]
リュープリン開始
血液検査の結果、女性ホルモンの分泌が、閉経前の状態にまで上がっていることがわかった。
ということで、リュープリンの注射を開始することになった。
検査結果が出てすぐ、私は夏休みで旅行に出かけることになっていたので
旅行から帰ってから注射を受けることを許可してもらった。
3年前、抗がん剤を初めて投与するときと似ていた。
あの時は、もう旅行も最後かもしれないと思って、一番お気に入りの場所に行って来たのだった。
今回は、偶然だけれど二番目に好きな場所への旅行だった。
副作用など不安を感じたくなかったので、戻ってからという選択をした。
リュープリンは3か月に1回を2年間の予定。
最近、すっかり病気に関する勉強をさぼっているのであわてて検索。
http://www.gsic.jp/medicine/mc_01/leuplin/
脳下垂体に影響する薬。。。というので漠然とした、不安感があった。
それでも、治療は受けることに決めているから大したことはない。
結局、注射は20秒ほどで終わり、劇的な副作用もなく安心した。
注射後3日間くらいは注射されたおなかの皮膚の回りがいたく、ほんのり赤く熱を持った。
驚いたのは、2日後くらいからホットフラッシュが復活したこと。
気持ち的なものなのか、本当に薬が効き始めたのか
なんだか懐かしいホットフラッシュに、少し安心した。
今まで、術後約2年間は抗がん剤の影響もあってか
タスオミンだけで生理が止まっていた。
リュープリンをこれからはじめることで
この先2年間、生理を止める計画。
2年というある程度まとまった期間
再発を阻止する努力を続けられる、そのカードが残っていることに感謝しよう。
私の乳がんのタイプはトリプルポジティブなので
ホルモン感受性も、HER2も陽性。
はじめてそれを認識した当時は、病気のことをあまり理解できていなかったこともあってか
なんだか周りの乳がん患者さんよりも条件が良くないのではと思って
事実ステージ3Cで発見されたということも手伝って
膝から力が抜けて行くような絶望感で一杯だった。
それでも、病気について知識を得、いろいろな病状の病友を得、
それぞれの治療や、そして気持ちを知ることになると
私のように、手を変え品を変え治療を受けられるということも
そこまで悪いことだとは思わなくなってきた。
治療を受けることには苦痛も伴うし、もちろんお金もかかる。
それでもその代償に、ある程度の安心感を得ることもできるのは事実だ。
トリプルポジティブであったことは、自分の選択ではないにしろ
この先の2年という時間にある程度の前向きな気持ちを持って進めることを
大切に思いたい。
もうすぐ、夏が終わる。
瑞々しい梨をかみしめると、甘い香りとともに果汁がのどを降りて
体中にしみて行く。
自分の口の中から伝わる、ざくざくという音、
果肉の少しざらっとした舌触り
いつもいつも、私は生きている。
ぐっとくるこの気持ちを、私は忘れてはいけない。
ということで、リュープリンの注射を開始することになった。
検査結果が出てすぐ、私は夏休みで旅行に出かけることになっていたので
旅行から帰ってから注射を受けることを許可してもらった。
3年前、抗がん剤を初めて投与するときと似ていた。
あの時は、もう旅行も最後かもしれないと思って、一番お気に入りの場所に行って来たのだった。
今回は、偶然だけれど二番目に好きな場所への旅行だった。
副作用など不安を感じたくなかったので、戻ってからという選択をした。
リュープリンは3か月に1回を2年間の予定。
最近、すっかり病気に関する勉強をさぼっているのであわてて検索。
http://www.gsic.jp/medicine/mc_01/leuplin/
脳下垂体に影響する薬。。。というので漠然とした、不安感があった。
それでも、治療は受けることに決めているから大したことはない。
結局、注射は20秒ほどで終わり、劇的な副作用もなく安心した。
注射後3日間くらいは注射されたおなかの皮膚の回りがいたく、ほんのり赤く熱を持った。
驚いたのは、2日後くらいからホットフラッシュが復活したこと。
気持ち的なものなのか、本当に薬が効き始めたのか
なんだか懐かしいホットフラッシュに、少し安心した。
今まで、術後約2年間は抗がん剤の影響もあってか
タスオミンだけで生理が止まっていた。
リュープリンをこれからはじめることで
この先2年間、生理を止める計画。
2年というある程度まとまった期間
再発を阻止する努力を続けられる、そのカードが残っていることに感謝しよう。
私の乳がんのタイプはトリプルポジティブなので
ホルモン感受性も、HER2も陽性。
はじめてそれを認識した当時は、病気のことをあまり理解できていなかったこともあってか
なんだか周りの乳がん患者さんよりも条件が良くないのではと思って
事実ステージ3Cで発見されたということも手伝って
膝から力が抜けて行くような絶望感で一杯だった。
それでも、病気について知識を得、いろいろな病状の病友を得、
それぞれの治療や、そして気持ちを知ることになると
私のように、手を変え品を変え治療を受けられるということも
そこまで悪いことだとは思わなくなってきた。
治療を受けることには苦痛も伴うし、もちろんお金もかかる。
それでもその代償に、ある程度の安心感を得ることもできるのは事実だ。
トリプルポジティブであったことは、自分の選択ではないにしろ
この先の2年という時間にある程度の前向きな気持ちを持って進めることを
大切に思いたい。
もうすぐ、夏が終わる。
瑞々しい梨をかみしめると、甘い香りとともに果汁がのどを降りて
体中にしみて行く。
自分の口の中から伝わる、ざくざくという音、
果肉の少しざらっとした舌触り
いつもいつも、私は生きている。
ぐっとくるこの気持ちを、私は忘れてはいけない。
生理が戻った(2年半を経て)
気が付けば、最近ホットフラッシュが随分楽になった。
体温調節が上手にできずに
ホットフラッシュと、その逆の寒さがあり
上着を着たり脱いだりめまぐるしかったのだが
その頻度が大分減り、一回の程度も軽くなっている。
タスオミン(ノルバデックスのジェネリック)を飲み続けて約2年。
体が薬に適応してきたのかなと思っていた。
そうしたらとても久しぶりに生理が来た。
はじめはただの軽い不正出血かと思っていたが、6日間ほど続く生理だった。
術前化学療法の時に1,2度来て以来2年半程止まっていから
もしかしたらもう戻って来ないのではないかと思っていて
まあそれでも別にいいかと思っていたのだけれど。
ただ、ここ2週間ほど、いわゆる生理前の時のように、下腹部が張って
なんとなく痛みを感じるような感覚があって
婦人科検診の予約を取ったところだった。
それは、やっぱり生理の兆候だったのかもしれない。
もう、買うことはないのかなと漠然と思っていた生理用ナプキンを買いに行った。
以前買おいていたものは、震災の時被災地に送ってしまったのだ。
見慣れたパッケージの並びに、私が初めて見るものもある。
あまりに久しぶりだったので、棚の前でいろいろと観察してしまった。
生理が戻って来た時、覚えた感情は、嬉しさと安心だった。
病気のことを考えて不安になったのはその後だった。
結構シビアな抗がん剤の点滴を、リミットまで回数を重ねたから
もうたぶん生理は戻って来ないと思っていたのだ。
パクリタキセルの副作用のしびれがきつくなってきて
先生も「もうこの辺でストップしてもいいですが」といったけれど
どうしても12回点滴を受けたくて、そうお願いした。
あんなふうに体中影響が出ているんだったら
そりゃあ婦人科系にも影響があるでしょうよ、と体で納得していた。
だから、驚いたのだ。
足のしびれがなくなり、むくみもとれ、あまりはかないけどハイヒールもまたはけるようになった。
そんな風に、子宮や、そこに指令を出すようなホルモン系なんかも元気に復活したんだ。
病気のことを考えれば、たぶんまた止めることになるのだろうけれど、
体もほんとに頑張って、健やかになろうとしているんだ。
不安だったり、焦ったり、恨み言を言ったりしながらなんとか進んでいる自分が気付かない内に
体の内側も、すごく頑張っている。
とにかく、ドクターには相談をしなくてはいけない。
私の場合は術前化学療法からずっと生理が止まっていたので
ホルモン療法に移った時も、生理が戻ってくるまではタスオミンのみ
戻って来たらおそらく注射もということだったので。
この体と生きていく。
休める時はしっかり休んで、この体と生きていこう。
体温調節が上手にできずに
ホットフラッシュと、その逆の寒さがあり
上着を着たり脱いだりめまぐるしかったのだが
その頻度が大分減り、一回の程度も軽くなっている。
タスオミン(ノルバデックスのジェネリック)を飲み続けて約2年。
体が薬に適応してきたのかなと思っていた。
そうしたらとても久しぶりに生理が来た。
はじめはただの軽い不正出血かと思っていたが、6日間ほど続く生理だった。
術前化学療法の時に1,2度来て以来2年半程止まっていから
もしかしたらもう戻って来ないのではないかと思っていて
まあそれでも別にいいかと思っていたのだけれど。
ただ、ここ2週間ほど、いわゆる生理前の時のように、下腹部が張って
なんとなく痛みを感じるような感覚があって
婦人科検診の予約を取ったところだった。
それは、やっぱり生理の兆候だったのかもしれない。
もう、買うことはないのかなと漠然と思っていた生理用ナプキンを買いに行った。
以前買おいていたものは、震災の時被災地に送ってしまったのだ。
見慣れたパッケージの並びに、私が初めて見るものもある。
あまりに久しぶりだったので、棚の前でいろいろと観察してしまった。
生理が戻って来た時、覚えた感情は、嬉しさと安心だった。
病気のことを考えて不安になったのはその後だった。
結構シビアな抗がん剤の点滴を、リミットまで回数を重ねたから
もうたぶん生理は戻って来ないと思っていたのだ。
パクリタキセルの副作用のしびれがきつくなってきて
先生も「もうこの辺でストップしてもいいですが」といったけれど
どうしても12回点滴を受けたくて、そうお願いした。
あんなふうに体中影響が出ているんだったら
そりゃあ婦人科系にも影響があるでしょうよ、と体で納得していた。
だから、驚いたのだ。
足のしびれがなくなり、むくみもとれ、あまりはかないけどハイヒールもまたはけるようになった。
そんな風に、子宮や、そこに指令を出すようなホルモン系なんかも元気に復活したんだ。
病気のことを考えれば、たぶんまた止めることになるのだろうけれど、
体もほんとに頑張って、健やかになろうとしているんだ。
不安だったり、焦ったり、恨み言を言ったりしながらなんとか進んでいる自分が気付かない内に
体の内側も、すごく頑張っている。
とにかく、ドクターには相談をしなくてはいけない。
私の場合は術前化学療法からずっと生理が止まっていたので
ホルモン療法に移った時も、生理が戻ってくるまではタスオミンのみ
戻って来たらおそらく注射もということだったので。
この体と生きていく。
休める時はしっかり休んで、この体と生きていこう。
術後3ヶ月の外科診察メモ-局所再発についてなど
前回少しだけ書いたけれど、
先週の外科の先生との診察での会話をメモ。
◆傷跡→炎症によりできていた傷口のポケット(へこみ)も塞がりましたね。
傷口は、放射線の副作用が落ち着いた半年~1年後にしましょう。
次回は3ヵ月後にまた見せてもらうことにするけれど、
その前に傷口に変化があればいつでも連絡してきてください。
◆術前化学療法をしても、全切除を勧められる病友さんは少なくない。
私の場合はなぜ部分切除が可能だったのでしょうか。
また、変形が強くでると言われていた乳房の外側下部の手術であったのに
なぜ胸の形が変わらなかったのでしょうか。
術前化学療法が効果があったということに尽きる。
術前化学療法の意義というのは、腫瘍を小さくして、部分切除を可能にする
もしくは、部分切除の整容性をより高めることにあるからです。
腫瘍のできた場所が、皮膚の表面から比較的は離れていたこともある。
皮膚に近いと、腫瘍が小さくても手術で取り去る範囲が広くなることもある。
腫瘍がひとつしかなかったこともあると言えます。
確かに、外側下部の手術だと、変形が大きくでると言われているが
胸の形や大きさは人それぞれで、乳腺の量、張り、ボリューム、肌の具合などで
全然異なってくる。
本当に閉じてみるまでは細かいイメージはわからないというのが正直なところ。
逆に言うと、なぜ、このように形が変わらなかったのかということがきちんと予測できれば
どんな方にも、形の変わらない部分切除術が施せるということになるんですけれどね。
私の場合は、放射線をかけているので
1年くらいをかけて徐々に変形がかかる場合もあります。
(→放射線の先生からは、ボリュームの残り方、ブースト照射なしなどから考えると
あまり極端な変形はないと思われる、という予想をいただいている)
・・・これから部分切除を選択する方に向けて
何か参考になる情報が聞き出せればと思ったけれど、残念。
ただやはり、授乳をしていない胸には張りが残っているので
丸い形に作りやすいようではある。
◆気をゆるめたくなかったので、局所再発についてもあえて切り出してみた。
胸の触診は気をつけておくこと。
メスを入れた付近から出てくるのが本来の意味の局所再発と言えるだろう。
いわゆる取り残しのがん細胞が育ってくるということ。
術側の乳腺は残っているわけなので、
傷跡から離れていても、がんが発生するケースもある。
私の場合は、化学療法もかなり効果を認められていて
(切り出した部分においては胸も脇もがん細胞はひとつも見つからなかった)
さらに、放射線も範囲を広げて照射しており
さらに術後にはハーセプチンもタモキシフェンも投与している訳だから、
再発防止のための手は打てるだけ打っている。
しかしながら、再発しないとは言い切れないのがこの病気の残念なところ。
100人にひとりくらいは再発される方がいる。
でも、100人にひとりくらいですからね。
(話の流れから、母集団は『部分切除(温存)』をした患者さん)
その場合、しこりが小さい段階で見つけたとしても
全切除をおすすめする確率が高い。
それは単純に、もう放射線をかけられないからということだけでなしに
これだけ手を尽くしても、再び生まれてくる(または生き残った)がん細胞というのは
非常に悪質であるということだから。
ただ、もちろんその時には、同時再建という選択肢もありますから
また、形成の先生にも入ってもらいましょう。
前回の記事で、体にメスを入れることは最低限にしたい・・・と少し書いたけれど
それは、こんな話を聞いていたから。
あまり悲観的にはなりたくないけれども、
この先また手術を受ける可能性もあるのかと思うと、
今すぐ傷口を綺麗にしなければ!みたいな気持ちはまだ湧かない。
人それぞれだと思うけれど、私は痛みにも弱いしね。
先生の説明は分かりやすく落ち着いて聞けた。
同時に、特に楽観的な響きは感じられなかったことで
どんなに今までの経過が素晴らしいものでも
相対的に見れば自分は再発ハイリスクであって
先生は気を抜いていないんだなと思ったりした。
緩みがちだった気持ちが、またひきしまって
何だかわからないけれど、久し振りに玄米をたっぷり炊いて
赤だしのお味噌汁と一緒に食べた。
私は長距離ランナーなんだ。
今日もまた、進んでいこう。

にほんブログ村
先週の外科の先生との診察での会話をメモ。
◆傷跡→炎症によりできていた傷口のポケット(へこみ)も塞がりましたね。
傷口は、放射線の副作用が落ち着いた半年~1年後にしましょう。
次回は3ヵ月後にまた見せてもらうことにするけれど、
その前に傷口に変化があればいつでも連絡してきてください。
◆術前化学療法をしても、全切除を勧められる病友さんは少なくない。
私の場合はなぜ部分切除が可能だったのでしょうか。
また、変形が強くでると言われていた乳房の外側下部の手術であったのに
なぜ胸の形が変わらなかったのでしょうか。
術前化学療法が効果があったということに尽きる。
術前化学療法の意義というのは、腫瘍を小さくして、部分切除を可能にする
もしくは、部分切除の整容性をより高めることにあるからです。
腫瘍のできた場所が、皮膚の表面から比較的は離れていたこともある。
皮膚に近いと、腫瘍が小さくても手術で取り去る範囲が広くなることもある。
腫瘍がひとつしかなかったこともあると言えます。
確かに、外側下部の手術だと、変形が大きくでると言われているが
胸の形や大きさは人それぞれで、乳腺の量、張り、ボリューム、肌の具合などで
全然異なってくる。
本当に閉じてみるまでは細かいイメージはわからないというのが正直なところ。
逆に言うと、なぜ、このように形が変わらなかったのかということがきちんと予測できれば
どんな方にも、形の変わらない部分切除術が施せるということになるんですけれどね。
私の場合は、放射線をかけているので
1年くらいをかけて徐々に変形がかかる場合もあります。
(→放射線の先生からは、ボリュームの残り方、ブースト照射なしなどから考えると
あまり極端な変形はないと思われる、という予想をいただいている)
・・・これから部分切除を選択する方に向けて
何か参考になる情報が聞き出せればと思ったけれど、残念。
ただやはり、授乳をしていない胸には張りが残っているので
丸い形に作りやすいようではある。
◆気をゆるめたくなかったので、局所再発についてもあえて切り出してみた。
胸の触診は気をつけておくこと。
メスを入れた付近から出てくるのが本来の意味の局所再発と言えるだろう。
いわゆる取り残しのがん細胞が育ってくるということ。
術側の乳腺は残っているわけなので、
傷跡から離れていても、がんが発生するケースもある。
私の場合は、化学療法もかなり効果を認められていて
(切り出した部分においては胸も脇もがん細胞はひとつも見つからなかった)
さらに、放射線も範囲を広げて照射しており
さらに術後にはハーセプチンもタモキシフェンも投与している訳だから、
再発防止のための手は打てるだけ打っている。
しかしながら、再発しないとは言い切れないのがこの病気の残念なところ。
100人にひとりくらいは再発される方がいる。
でも、100人にひとりくらいですからね。
(話の流れから、母集団は『部分切除(温存)』をした患者さん)
その場合、しこりが小さい段階で見つけたとしても
全切除をおすすめする確率が高い。
それは単純に、もう放射線をかけられないからということだけでなしに
これだけ手を尽くしても、再び生まれてくる(または生き残った)がん細胞というのは
非常に悪質であるということだから。
ただ、もちろんその時には、同時再建という選択肢もありますから
また、形成の先生にも入ってもらいましょう。
前回の記事で、体にメスを入れることは最低限にしたい・・・と少し書いたけれど
それは、こんな話を聞いていたから。
あまり悲観的にはなりたくないけれども、
この先また手術を受ける可能性もあるのかと思うと、
今すぐ傷口を綺麗にしなければ!みたいな気持ちはまだ湧かない。
人それぞれだと思うけれど、私は痛みにも弱いしね。
先生の説明は分かりやすく落ち着いて聞けた。
同時に、特に楽観的な響きは感じられなかったことで
どんなに今までの経過が素晴らしいものでも
相対的に見れば自分は再発ハイリスクであって
先生は気を抜いていないんだなと思ったりした。
緩みがちだった気持ちが、またひきしまって
何だかわからないけれど、久し振りに玄米をたっぷり炊いて
赤だしのお味噌汁と一緒に食べた。
私は長距離ランナーなんだ。
今日もまた、進んでいこう。
にほんブログ村
二の腕の感覚ナシ&南の島の病友
手術後の体の変化について改めて感じたことをひとつ。
私はリンパ節をレベル2まで取るときに神経を触っているので
わきの下や二の腕の一部の感覚がほとんどない。
先生曰く、人間の体とはすごいもので
感覚の残っている部分が網目状に広がって、
感覚のない部分を徐々に狭めて行くことが多いとか。
経験者からお話を聞くと、
5年とか10年とかの長いスパンで感覚がゆっくりと戻ってくるというのと
「感覚がない」ということに慣れる、ということだった。
先日彼が「二の腕冷たいね」と突然言ったので
何故分かったのかと思って聞いたら、
何と彼が後ろから私の術側の二の腕にそっと触れていた。
私は全然それに気づいていなかったのだ。
彼に説明すると、びっくりしていた。
触れていた指を上下にこするようにしてもらうと
さすがに周りの部分の感覚もあるので、わかる。
感覚がないということは、術後から知っていたし
お風呂や着替えの時にもわかっていたけれども、
本当に感覚が無いんだなーとあらためて驚いた。
「怪我に注意してくださいね」と先生に言われたこともある。
確かにこれでは気づかないこともあるかも知れない。
注意しよう。
今日は病院友が南の島から写真を送って来た。
この間まで一緒に放射線を受けていた子だ。
白い砂と透明な海がまぶしい。
私が「いつ旅行に行けるかな」「日焼けはダメなんだよね?」などとボヤボヤ思っている間に
彼女はいとも簡単にためらいを飛び越えて行く。
退院の日程や髪の毛のこともそうだった。
じっと考え込んでしまう私に、
極端なくらい明快なお手本を見せてくれる人なのだ。
よし、私もいつか。
二の腕に注意しながら、海に行こう。
放射線も、終わりが見えて来た。

にほんブログ村
私はリンパ節をレベル2まで取るときに神経を触っているので
わきの下や二の腕の一部の感覚がほとんどない。
先生曰く、人間の体とはすごいもので
感覚の残っている部分が網目状に広がって、
感覚のない部分を徐々に狭めて行くことが多いとか。
経験者からお話を聞くと、
5年とか10年とかの長いスパンで感覚がゆっくりと戻ってくるというのと
「感覚がない」ということに慣れる、ということだった。
先日彼が「二の腕冷たいね」と突然言ったので
何故分かったのかと思って聞いたら、
何と彼が後ろから私の術側の二の腕にそっと触れていた。
私は全然それに気づいていなかったのだ。
彼に説明すると、びっくりしていた。
触れていた指を上下にこするようにしてもらうと
さすがに周りの部分の感覚もあるので、わかる。
感覚がないということは、術後から知っていたし
お風呂や着替えの時にもわかっていたけれども、
本当に感覚が無いんだなーとあらためて驚いた。
「怪我に注意してくださいね」と先生に言われたこともある。
確かにこれでは気づかないこともあるかも知れない。
注意しよう。
今日は病院友が南の島から写真を送って来た。
この間まで一緒に放射線を受けていた子だ。
白い砂と透明な海がまぶしい。
私が「いつ旅行に行けるかな」「日焼けはダメなんだよね?」などとボヤボヤ思っている間に
彼女はいとも簡単にためらいを飛び越えて行く。
退院の日程や髪の毛のこともそうだった。
じっと考え込んでしまう私に、
極端なくらい明快なお手本を見せてくれる人なのだ。
よし、私もいつか。
二の腕に注意しながら、海に行こう。
放射線も、終わりが見えて来た。
にほんブログ村
放射線についてガイドラインを読んでみる
そろそろ放射線が見えて来たので、
久し振りにお勉強。
難しそうな見た目だけれど
文章は簡潔だし、分かりやすかった。
以下、自分に特に関係のありそうなところをピックアップ・・・
*術前化学療法が行われた場合に術後照射は有用か
局所進行乳がんに対して術前化学療法が行われた症例の多くでは
術後照射を行うことが勧められる(推奨グレードB)
局所進行乳がんにおける術前化学療法は、
down stageによる手術の適応拡大や、遠隔転移の制御を目的に施行される。
(私の場合はこれに当てはまり、
手術は部分切除で乳房の変形もなく、今の所遠隔転移もないということになっている)
術前化学療法により原発層が縮小するほか、術前に化学療法を施行しない場合に比べ
病理学的腋窩リンパ節転移の出現頻度が訳10%程度低下することが知られている。
これまでの乳房切除後の照射に関する知見は
術前化学療法が行われていない奨励を対象としたものであり、
そのまま術前化学療法施行例にあてはめることには問題がある。
現時点では、術前化学療法を行った場合には
全例乳房切除後の照射を行うべきか判断できる十分な情報は揃っていない。
(中略)
現時点では進行期症例では術前化学療法を施行した場合においても
術後に放射線治療が必要と予想される。
術前化学療法を施行した後の病理組織学的所見がどのように予後に関連してくるかは
今後の研究課題である。
*乳房温存後の化学療法と照射のタイミングは
術後化学療法の有無に関わらず
照射をいつはじめるべきかについての根拠は十分でない。(推奨グレードC)
術後化学療法を施行しない例では、
局所制御には術後早期の照射開始が望ましい傾向にあるが
重要な因子ではなく、推奨に足る明確な時期はない。
ただ、
化学療法が必要な乳房温存療法の患者群は遠隔転移の高危険群であり、
生命予後の観点からは遠隔転移の制御が局所再発の制御に優先する。
その意味では、フルドーズの化学療法を行うための照射開始の遅れは
6ヶ月程度までは許容されると考えるのが妥当であると思われる。
(傷の回復を待っているので、術後期間があいているのが少し気になっていた)
*乳房温存術後の照射ではほとんどの症例において
急性期に軽度の放射線皮膚炎がみられ、しばらくは色素沈着が残る。
病院友さんを始め経験者にお話を聞き、時には見せていただきながら
私が感覚的に納得したことは
「赤くなる人も変わらない人も、人それぞれ。色が残ってもだいたい1年で元に戻る」。
ということ。
マーキングは普通に隠れる範囲で、色うつりもなし、というのが早めに分かったので
それも安心。
実はセールで放射線用のお洋服を買っておいたほうがいいのかなと
思っていたので助かった。
放射線の先生の意見を聞くための、下準備はできたかな。

にほんブログ村
久し振りにお勉強。
難しそうな見た目だけれど
文章は簡潔だし、分かりやすかった。
以下、自分に特に関係のありそうなところをピックアップ・・・
*術前化学療法が行われた場合に術後照射は有用か
局所進行乳がんに対して術前化学療法が行われた症例の多くでは
術後照射を行うことが勧められる(推奨グレードB)
局所進行乳がんにおける術前化学療法は、
down stageによる手術の適応拡大や、遠隔転移の制御を目的に施行される。
(私の場合はこれに当てはまり、
手術は部分切除で乳房の変形もなく、今の所遠隔転移もないということになっている)
術前化学療法により原発層が縮小するほか、術前に化学療法を施行しない場合に比べ
病理学的腋窩リンパ節転移の出現頻度が訳10%程度低下することが知られている。
これまでの乳房切除後の照射に関する知見は
術前化学療法が行われていない奨励を対象としたものであり、
そのまま術前化学療法施行例にあてはめることには問題がある。
現時点では、術前化学療法を行った場合には
全例乳房切除後の照射を行うべきか判断できる十分な情報は揃っていない。
(中略)
現時点では進行期症例では術前化学療法を施行した場合においても
術後に放射線治療が必要と予想される。
術前化学療法を施行した後の病理組織学的所見がどのように予後に関連してくるかは
今後の研究課題である。
*乳房温存後の化学療法と照射のタイミングは
術後化学療法の有無に関わらず
照射をいつはじめるべきかについての根拠は十分でない。(推奨グレードC)
術後化学療法を施行しない例では、
局所制御には術後早期の照射開始が望ましい傾向にあるが
重要な因子ではなく、推奨に足る明確な時期はない。
ただ、
化学療法が必要な乳房温存療法の患者群は遠隔転移の高危険群であり、
生命予後の観点からは遠隔転移の制御が局所再発の制御に優先する。
その意味では、フルドーズの化学療法を行うための照射開始の遅れは
6ヶ月程度までは許容されると考えるのが妥当であると思われる。
(傷の回復を待っているので、術後期間があいているのが少し気になっていた)
*乳房温存術後の照射ではほとんどの症例において
急性期に軽度の放射線皮膚炎がみられ、しばらくは色素沈着が残る。
病院友さんを始め経験者にお話を聞き、時には見せていただきながら
私が感覚的に納得したことは
「赤くなる人も変わらない人も、人それぞれ。色が残ってもだいたい1年で元に戻る」。
ということ。
マーキングは普通に隠れる範囲で、色うつりもなし、というのが早めに分かったので
それも安心。
実はセールで放射線用のお洋服を買っておいたほうがいいのかなと
思っていたので助かった。
放射線の先生の意見を聞くための、下準備はできたかな。
にほんブログ村
胸の傷 本州→北アメリカ大陸風
先週記事にした時から10日程経っている。
あとは、一番上の皮膚が伸びて閉じれば終わりというところに来ていて
あれからまた毎日せっせとシャワーで洗ってはガーゼをあてている。
今や浸出液は殆ど出ないので
ガーゼをはずしたときにかさぶたがはがれて血が出ないように
プロスタンディン軟膏を出してもらって使ってきた。
こうすると、傷口が乾かず水分が保たれるので
治りも早くなるということ。
前回ミニ本州の形と言っていた傷口は、
なぜか真ん中あたりの皮膚の伸びがはやく、いち早く塞がった。
そのため残りの開いている部分がアメリカ大陸のように北と南に別れたようになって
さらに南アメリカ大陸にあたる下半分がほぼ塞がり・・・
という具合で、前回の半分程のサイズにまで。
小指の爪より小さくなった。
このまま行けば何とか7月中には傷が塞がってくれそう。
放射線が控えているから
毎日の通院はちょっと緊張するけれど
出かけたい気分になる夏の間なら頑張れそうかな。

にほんブログ村
あとは、一番上の皮膚が伸びて閉じれば終わりというところに来ていて
あれからまた毎日せっせとシャワーで洗ってはガーゼをあてている。
今や浸出液は殆ど出ないので
ガーゼをはずしたときにかさぶたがはがれて血が出ないように
プロスタンディン軟膏を出してもらって使ってきた。
こうすると、傷口が乾かず水分が保たれるので
治りも早くなるということ。
前回ミニ本州の形と言っていた傷口は、
なぜか真ん中あたりの皮膚の伸びがはやく、いち早く塞がった。
そのため残りの開いている部分がアメリカ大陸のように北と南に別れたようになって
さらに南アメリカ大陸にあたる下半分がほぼ塞がり・・・
という具合で、前回の半分程のサイズにまで。
小指の爪より小さくなった。
このまま行けば何とか7月中には傷が塞がってくれそう。
放射線が控えているから
毎日の通院はちょっと緊張するけれど
出かけたい気分になる夏の間なら頑張れそうかな。
にほんブログ村
術側の胸の様子
胸の傷は順調に自力で閉じてきている。
以前から
毎日傷口をシャワーで洗ってガーゼをあてておくことを続けて
最近は余裕が出てきて、ゆっくり体や髪(!)を洗っている。
診察室で傷口を見たときは小さな「木の葉」形に開いていた傷口から
新しい皮膚が伸びてきている。
現在、赤いお肉が見えている部分は
全長2.5センチほどの「本州」みたいな形になっている。
本当に安心。
皮膚が伸びてきているとは言っても色はフツウの肌の色とは違う
赤味の濃いあざのような色。
放射線が終わる頃にはどんな風に落ち着くのかわからないけれど
いずれ綺麗に切り取って修正をしましょうということになっている。
さて、傷口以外の術側の胸の様子だけれども
感染や傷口が開いてしまうというハプニングがあったにもかかわらず
赤味も引いており、
現在の見た目は、ボリュームも含めて今のところ健側と変わならい。
裸になってよく見れば、皮一枚分くらい術側の胸がやせている感じはする。
傷が下目外側にあるので、今は術後ブラを使っているけれど
今後はワイヤーにさえ気をつければ普通のブラジャーが使えるだろうなと思う。
胸が大きいために、
手術前にはボリュームの変化のことを思って不安になったりしたけれども
今持っている服は全て着られる。
(とはいえかなり太ってしまったので落とさないとシルエット的にまずい)
リンパ郭清の傷口は術後から今まで2ヶ月程テープを貼ったままだったのを
ついにはずした。
うす赤いような線が残っている。
場所は、キャミソールを着るとちょうどそでぐりのラインで隠れるようになっている。
これならば水着やウエットを着ても大丈夫。
さらに、6年生の病友さん情報によれば
この跡はだんだん色がとれて、しわと同化してくるらしい。
手術の直前の最終説明の時に、
「また水着で海に行きたいです」と言った私に
「大丈夫。全然あきらめる必要ないよ」と言ってくれた先生。
手術に関してはずっと確証めいた事を言わなかったけど
この時だけは結構力強く返してくれたことが印象に残っている。
先生の中では、こういう形にしようとかイメージしてくださっていたのか。
それともある程度成り行きのラッキーだったのか。
真相は分からないけれども
先生方との出会いや、色々なチャンスに恵まれたこと
きっと父が護っていてくれること
あらためて感謝の気持ちが湧いてくる。
放射線を経て、どんな風に変わっていくのかわからないけれど
穏やかに受け止めよう。
七夕の願いは、病気が大人しくしていてくれること。
皆の病気が、大人しくしていてくれますよう。

にほんブログ村
以前から
毎日傷口をシャワーで洗ってガーゼをあてておくことを続けて
最近は余裕が出てきて、ゆっくり体や髪(!)を洗っている。
診察室で傷口を見たときは小さな「木の葉」形に開いていた傷口から
新しい皮膚が伸びてきている。
現在、赤いお肉が見えている部分は
全長2.5センチほどの「本州」みたいな形になっている。
本当に安心。
皮膚が伸びてきているとは言っても色はフツウの肌の色とは違う
赤味の濃いあざのような色。
放射線が終わる頃にはどんな風に落ち着くのかわからないけれど
いずれ綺麗に切り取って修正をしましょうということになっている。
さて、傷口以外の術側の胸の様子だけれども
感染や傷口が開いてしまうというハプニングがあったにもかかわらず
赤味も引いており、
現在の見た目は、ボリュームも含めて今のところ健側と変わならい。
裸になってよく見れば、皮一枚分くらい術側の胸がやせている感じはする。
傷が下目外側にあるので、今は術後ブラを使っているけれど
今後はワイヤーにさえ気をつければ普通のブラジャーが使えるだろうなと思う。
胸が大きいために、
手術前にはボリュームの変化のことを思って不安になったりしたけれども
今持っている服は全て着られる。
(とはいえかなり太ってしまったので落とさないとシルエット的にまずい)
リンパ郭清の傷口は術後から今まで2ヶ月程テープを貼ったままだったのを
ついにはずした。
うす赤いような線が残っている。
場所は、キャミソールを着るとちょうどそでぐりのラインで隠れるようになっている。
これならば水着やウエットを着ても大丈夫。
さらに、6年生の病友さん情報によれば
この跡はだんだん色がとれて、しわと同化してくるらしい。
手術の直前の最終説明の時に、
「また水着で海に行きたいです」と言った私に
「大丈夫。全然あきらめる必要ないよ」と言ってくれた先生。
手術に関してはずっと確証めいた事を言わなかったけど
この時だけは結構力強く返してくれたことが印象に残っている。
先生の中では、こういう形にしようとかイメージしてくださっていたのか。
それともある程度成り行きのラッキーだったのか。
真相は分からないけれども
先生方との出会いや、色々なチャンスに恵まれたこと
きっと父が護っていてくれること
あらためて感謝の気持ちが湧いてくる。
放射線を経て、どんな風に変わっていくのかわからないけれど
穏やかに受け止めよう。
七夕の願いは、病気が大人しくしていてくれること。
皆の病気が、大人しくしていてくれますよう。
にほんブログ村
再縫合は延期
昨日少し書いた、開いてしまった胸の傷のことだけれど
再縫合は延期になった。
先生達の予想に反し
傷口の回復が順調なことがわかったからだ。
傷口は5センチくらいの木の葉形に開いていて
開いてしまった=傷が割れてしまったということなので
出てきたリンパ液がそこにどんどん溜まっていたらしい。
手術を受けた人は知っていると思うけれど
このリンパ液は、本来傷の回復を助ける働きがあるにも関わらず
多すぎると回復を遅らせてしまうらしい。
そんな現象が起こっていたので、
先に天井にあたる皮膚を閉じて、中をゆっくり回復させようとした。
実際には、傷の中の割れたところから、
健康な肉が回復してきた。
そういう状態だと、傷口の周りの皮膚は固くなっているらしく
縫合にあまり適さないらしい。
さらに、盛り上がってきた肉の分、
物理的に皮膚はぴっちり閉じないので、
せっかく回復してきた肉の一部を切り取らなければならないし、
傷は線のように細くならず、多少幅が出る可能性もある。
それならば・・・という先生の提案は
まずこのまま傷を自力で回復させ
皮膚を閉じてしまい、放射線を行う。
自力で閉じた皮膚は、開いた傷口の形に
赤く跡が残ってしまう。
ケロイドになるかもしれない。
放射線後肌が落ち着いたら、改めてそこを切り取り、綺麗(線状に)縫い直す。
ということだった。
拍子抜けしてしまった。
けれど、正直、先延ばしになったことはほっとする。怖いから・・・
この説明を受けるためには傷口を見ていないと訳がわからないので
診察室で鏡で見たが、
大きな怪我などをしたことがなかったので
大人げないことに「ギャー」と声を出してしまった。
動悸が上がっている中
何とかやりとりした内容は
1)では具体的にいつごろ再縫合ですか?
→それは放射線を当てて、私の肌がどうなるかわからないので
申し訳ないけれど時期的なことはイメージできません。
それでも、必ずできます。
2)傷口がケロイドになったり、放射線で皮膚が固くなってもできるのですか?
→技術的に可能。
少し先のことになってしまうかもしれないけれど
傷口が一番綺麗になる方法がこれです。
せっかくだから、なるべく綺麗にやりましょう。
ただ、傷の長さは伸びることになると思う。(原理を説明していただく)
3)誰が手術するのか?
→外科の主治医。
形成の先生と話したいですか?と聞かれたけれど
以前、縫い方の違いなどを教わっていて、
外科の先生でOKであると納得しているので問題なし。
ということで、
傷の回復を促進するために、
防水テープではなく、ガーゼをつけておくだけになった。
お風呂の時に、シャワーで傷口を洗い
(感覚がないので、全く痛まない)
鏡を見ずに滅菌ガーゼをかぶせる。
シャワーを浴びていてもちっとも安らがないけれど
最終的には自分の満足の為だから
こればかりは慣れるしかないね。

にほんブログ村
再縫合は延期になった。
先生達の予想に反し
傷口の回復が順調なことがわかったからだ。
傷口は5センチくらいの木の葉形に開いていて
開いてしまった=傷が割れてしまったということなので
出てきたリンパ液がそこにどんどん溜まっていたらしい。
手術を受けた人は知っていると思うけれど
このリンパ液は、本来傷の回復を助ける働きがあるにも関わらず
多すぎると回復を遅らせてしまうらしい。
そんな現象が起こっていたので、
先に天井にあたる皮膚を閉じて、中をゆっくり回復させようとした。
実際には、傷の中の割れたところから、
健康な肉が回復してきた。
そういう状態だと、傷口の周りの皮膚は固くなっているらしく
縫合にあまり適さないらしい。
さらに、盛り上がってきた肉の分、
物理的に皮膚はぴっちり閉じないので、
せっかく回復してきた肉の一部を切り取らなければならないし、
傷は線のように細くならず、多少幅が出る可能性もある。
それならば・・・という先生の提案は
まずこのまま傷を自力で回復させ
皮膚を閉じてしまい、放射線を行う。
自力で閉じた皮膚は、開いた傷口の形に
赤く跡が残ってしまう。
ケロイドになるかもしれない。
放射線後肌が落ち着いたら、改めてそこを切り取り、綺麗(線状に)縫い直す。
ということだった。
拍子抜けしてしまった。
けれど、正直、先延ばしになったことはほっとする。怖いから・・・
この説明を受けるためには傷口を見ていないと訳がわからないので
診察室で鏡で見たが、
大きな怪我などをしたことがなかったので
大人げないことに「ギャー」と声を出してしまった。
動悸が上がっている中
何とかやりとりした内容は
1)では具体的にいつごろ再縫合ですか?
→それは放射線を当てて、私の肌がどうなるかわからないので
申し訳ないけれど時期的なことはイメージできません。
それでも、必ずできます。
2)傷口がケロイドになったり、放射線で皮膚が固くなってもできるのですか?
→技術的に可能。
少し先のことになってしまうかもしれないけれど
傷口が一番綺麗になる方法がこれです。
せっかくだから、なるべく綺麗にやりましょう。
ただ、傷の長さは伸びることになると思う。(原理を説明していただく)
3)誰が手術するのか?
→外科の主治医。
形成の先生と話したいですか?と聞かれたけれど
以前、縫い方の違いなどを教わっていて、
外科の先生でOKであると納得しているので問題なし。
ということで、
傷の回復を促進するために、
防水テープではなく、ガーゼをつけておくだけになった。
お風呂の時に、シャワーで傷口を洗い
(感覚がないので、全く痛まない)
鏡を見ずに滅菌ガーゼをかぶせる。
シャワーを浴びていてもちっとも安らがないけれど
最終的には自分の満足の為だから
こればかりは慣れるしかないね。
にほんブログ村
ホルモン療法と妊娠出産
先日から、タスオミン(タモキシフェン)の錠剤を毎日飲むことになったのだけれど
先生からは、服用期間は5年と言われたし
何となく「ホルモン療法は5年間」という情報がインプットされていたから
特に疑問にも思わず診療室を後にした。
そんな私を看護師さんが呼び止めた。
「子供についてはどう考えている?
一番最初の問診票には、子供を持ちたいと書いてあったけれど
今はどうですか?」
わたしはうーん、と詰まってしまった。
実は、手術について情報を集めるのが精一杯で入院を迎え
退院したらすぐ胸の傷が開いてしまったので
創感染や再縫合について調べてばかりいた。
ホルモン療法についてはほとんどわかっていなかった。
以前から何となく聞かされていた5年、というのが頭にあり
まあ仕方ないかという風に思っていた。
看護師さんが教えてくれたのは
◆もともと、タモキシフェンの服用期間は2年だったのが
5年の方がより再発防止効果が高いということが分かったので
5年をおすすめするということになったらしい。
(5年が標準治療なんでしょうね。未確認)
◆私の場合は、確かに再発ハイリスクグループではあったものの
術前化学療法で病理的完全奏功(pCR)していることもあり
2年で服用を止め、
妊娠・出産にチャレンジするという選択肢もある
→これは、私が強く望む場合。そして先生の見解を仰ぐ必要がある。
◆確かに、先生が言うように、生きていくことはとても大事だし
そのために再発率をできるだけ下げるための手は打つべき。
でも、どういう人生を送りたいかというのもとても大事。
妊娠出産という選択肢を完全に失ったわけではないから、
望むならまだあきらめないで。
◆妊娠するならばタスオミン終了後、半年は期間をあけた方が良い。
私は、色々なことは横に置いておいて
タスオミン2年という選択もできると知って本当に驚いた。
ここでもまた、私の問診票の内容を覚えていてくれ
こんな大事な情報をくれた看護師さんに感謝した。
思い込みは恐いな、と思う。
そしてさらに、自分がどうしたいかは置いておいて
まず、タスオミン服用期間について何か分かればと思い
たまたま帰りの駅の近くにある患者会の相談室へ立ち寄った。
そこで見せてもらったのはこの臨床試験結果。
試験の時期とか詳細が記されていないのが謎だが、
それでも参考になる。
服用期間が1、2、5年で比較できるようになっている。
今まで生存率についての数字はほとんど見ないようにしてきたので
グラフを見るのに抵抗はあるけれど
とにかく、リンパ節転移ありのタモキシフェン投与群の生存率の差
これをどう取るか、ということになる。
また、このデータを探して相談に乗ってくださったのは
看護師の資格をお持ちの方で
実際にタモキシフェンを2年服用後、妊娠・出産をされた方はいるわよと
教えてくださった。
そうなんだ・・・すごいな。
妊娠・出産については以前にもこんな考えを残したりしているけど
治療を進めてきた今
あらためて自問しておこうという気分になった。

にほんブログ村
先生からは、服用期間は5年と言われたし
何となく「ホルモン療法は5年間」という情報がインプットされていたから
特に疑問にも思わず診療室を後にした。
そんな私を看護師さんが呼び止めた。
「子供についてはどう考えている?
一番最初の問診票には、子供を持ちたいと書いてあったけれど
今はどうですか?」
わたしはうーん、と詰まってしまった。
実は、手術について情報を集めるのが精一杯で入院を迎え
退院したらすぐ胸の傷が開いてしまったので
創感染や再縫合について調べてばかりいた。
ホルモン療法についてはほとんどわかっていなかった。
以前から何となく聞かされていた5年、というのが頭にあり
まあ仕方ないかという風に思っていた。
看護師さんが教えてくれたのは
◆もともと、タモキシフェンの服用期間は2年だったのが
5年の方がより再発防止効果が高いということが分かったので
5年をおすすめするということになったらしい。
(5年が標準治療なんでしょうね。未確認)
◆私の場合は、確かに再発ハイリスクグループではあったものの
術前化学療法で病理的完全奏功(pCR)していることもあり
2年で服用を止め、
妊娠・出産にチャレンジするという選択肢もある
→これは、私が強く望む場合。そして先生の見解を仰ぐ必要がある。
◆確かに、先生が言うように、生きていくことはとても大事だし
そのために再発率をできるだけ下げるための手は打つべき。
でも、どういう人生を送りたいかというのもとても大事。
妊娠出産という選択肢を完全に失ったわけではないから、
望むならまだあきらめないで。
◆妊娠するならばタスオミン終了後、半年は期間をあけた方が良い。
私は、色々なことは横に置いておいて
タスオミン2年という選択もできると知って本当に驚いた。
ここでもまた、私の問診票の内容を覚えていてくれ
こんな大事な情報をくれた看護師さんに感謝した。
思い込みは恐いな、と思う。
そしてさらに、自分がどうしたいかは置いておいて
まず、タスオミン服用期間について何か分かればと思い
たまたま帰りの駅の近くにある患者会の相談室へ立ち寄った。
そこで見せてもらったのはこの臨床試験結果。
試験の時期とか詳細が記されていないのが謎だが、
それでも参考になる。
服用期間が1、2、5年で比較できるようになっている。
今まで生存率についての数字はほとんど見ないようにしてきたので
グラフを見るのに抵抗はあるけれど
とにかく、リンパ節転移ありのタモキシフェン投与群の生存率の差
これをどう取るか、ということになる。
また、このデータを探して相談に乗ってくださったのは
看護師の資格をお持ちの方で
実際にタモキシフェンを2年服用後、妊娠・出産をされた方はいるわよと
教えてくださった。
そうなんだ・・・すごいな。
妊娠・出産については以前にもこんな考えを残したりしているけど
治療を進めてきた今
あらためて自問しておこうという気分になった。
にほんブログ村
< 前のページ次のページ >

34歳 シングル 始まりは乳がんstageⅢC。術前化学療法・部分切除・放射線治療・術後ハーセプチンまで終了。現在ホルモン療法中。自分の心と体を大事な友人のように扱いながら治療の日々を過ごしてきました。
by reeelax
ステージ3CからpCR
診断が下った時点でしこりが6センチあり、脇の下と鎖骨の上下にも転移していました。
半年の術前化学療法を経て2009年5月に部分切除手術。
病理検査の結果、がん細胞は見つからず病理学的完全奏功を得ました。
乳がんがわかった当時、職場では念願の部署に異動し昇進したばかりでしたが、休職し療養生活に入りました。
2010年ハーセプチン投与終了後、週に何度かのアルバイトとして以前とは異なる職場で仕事を開始しました。
治療に関しては幸運が重なった、そんな私はシングルです。ステージ3からでも、命あることに感謝しながら、生き抜いて行くことの不安と迷いも正直に書いていきたいと思います。
*闘病ブログ集はこちら*
病気ブログランキング
がん・ガン・癌スーパーリンク
病気・症状ブログランキング
半年の術前化学療法を経て2009年5月に部分切除手術。
病理検査の結果、がん細胞は見つからず病理学的完全奏功を得ました。
乳がんがわかった当時、職場では念願の部署に異動し昇進したばかりでしたが、休職し療養生活に入りました。
2010年ハーセプチン投与終了後、週に何度かのアルバイトとして以前とは異なる職場で仕事を開始しました。
治療に関しては幸運が重なった、そんな私はシングルです。ステージ3からでも、命あることに感謝しながら、生き抜いて行くことの不安と迷いも正直に書いていきたいと思います。
*闘病ブログ集はこちら*
病気ブログランキング
がん・ガン・癌スーパーリンク
病気・症状ブログランキング
最新のコメント
| グ リーっていえばもうゲ.. |
| by グリー at 18:55 |
| グ リーと聞いてどんな.. |
| by グ リー at 11:06 |
| echalotesさんお.. |
| by reeelax at 11:25 |
| こんにちは。過去に一度コ.. |
| by マンダリン at 20:58 |
| リラさん おはようござ.. |
| by koko at 10:57 |
| かわいい赤いお弁当箱に卵.. |
| by たかこ at 22:09 |
| はじめまして! ただい.. |
| by passionflower at 09:41 |
| りらさん、お久しぶり♪ .. |
| by echalotes at 22:27 |
| トミーさん、こんにちは。.. |
| by reeelax at 12:15 |
| 爪もみはとても効くとTV.. |
| by トミー at 01:17 |
| yukariさんこんにち.. |
| by reeelax at 16:43 |
| 10/3の鍵コメさんへ。.. |
| by reeelax at 16:35 |
| 9/29の鍵コメさんへ。.. |
| by reeelax at 16:27 |
| kokoさん、こんにちは.. |
| by reeelax at 16:21 |
| ウエーブさんこんにちは。.. |
| by reeelax at 16:10 |
| holyqueenさん、.. |
| by reeelax at 16:05 |
| 9/20の鍵コメさん、こ.. |
| by reeelax at 16:00 |
| カナさん、こんにちは。 .. |
| by reeelax at 15:51 |
| holyqueenさんこ.. |
| by reeelax at 15:42 |
| …以下コメントの続き… .. |
| by yukari at 09:29 |
以前の記事
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月










